生産の歴史
1905年(明治38年)、松山市の篤農家、高須賀穣(慶応5年生まれ)夫妻がビクトリア州に移民し、日本のコメ種子を持ち込んでコメ作りを開始したのが始まりです。稲作の自然条件はよかったものの、灌漑システムが整っておらず苦労を重ねました。1920年代に入って灌漑工事が進み、NSW州のリバリナ地方を中心に約8,000キロに及ぶ水路が敷かれ、開拓農家グループによるコメ作りが、NSW州や同州に隣接するビクトリア州境あたりで広まって行きました。20年代半ばから、ジャポニカ種とインディカ種との交配などによる品種改良も継続的に続けられ、いまでは年間平均100万トン(うち8割がジャポニカ系中粒種)を生産するに至っています。なお、高須賀家の子孫は、ビクトリア州スワンヒルに住んでいます。
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