オレゴン・ブルワーズ・フェスティバルと
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マジメなオレゴン・ブルワーズの歩み
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7月25日から27日に、オレゴン州ポートランドはウィラメッテ川(そう、あのホップのウィラメッテです。)沿いの公園で、第10回オレゴン・ブルワーズ・フェスティバルが開催された。このフェスティバルは、先ごろ開催されたインスティチュート・フォー・ブルーイング・スタディ(IBS)主催のグレート・アメリカン・ビア・フェスティバルに継ぐ大規模なフェスティバルで、今年はオレゴン州から39、その他ワシントン、カリフォルニア、アラスカ、コロラド、ウィスコンシンなど13州からトータル73のブルワリーが参加、そのタップを目指して8万人の人手でにぎわった。
私もポートランドに在住する友人を訪ねることと合わせて、このフェスティバルに参加。 素晴らしく真っ青な空、とうとうと流れる大きな川、きらきらと光る緑の芝生、と夏祭にはもってこいの一日。生バンドのリズムに乗って、お土産ジョッキを片手に群集かきわけ、タップからタップへと渡り歩く。この活気、この暑さ、そしてプレミアム・ビール。パラソルの下で人々の会話もはずむ。この美しい夏の一日を、バラエティに富んだマイクロビールを何種類も味わって過ごせるなんて、私は至上の幸せを感じてしまったのであった。
ところで、なぜそんな大都市でもないポートランドが、またどちらかといえば第一産業の進んだ朴とつなイメージのあるオレゴン州が、このアーティスティックなクラフト・ブルーイングのメッカといわれるようにまで、発達してきたのだろう。 なぜそんなに多くのブルワリーが共存していられるのだろう? 前々からのギモンでもあったこれらのことを解決すべく、このフェスティバルの主催者でもあるオレゴン・ブルワーズ・ギルドのマイク・シャーウッド氏にインタビューすることにした。 マイクロブルワリーのメッカといわれるオレゴン・マイクロブルワリーの歴史と現在の状態をレポート。 ![]()
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オレゴン・ブルワリー・ムーブメント まずはオレゴン・ブルワーズ・フェスティバルの始まりとあわせて、オレゴンのブルワリーの歴史をかいつまんで紹介。 第一回目のフェスティバルが開催された1988年、オレゴン州には4つのマイクロブルワリーしか存在しなかった。現在では、58のマイクロブルワリーと、それがもつサテライトパブ、ブルーパブなど合わせて、78のブルワリーがカウントされている。 すでにご存知の方もいるかもしれないが、アメリカでもかつては、ビールといえば地元で醸造されたフレッシュなものが、タップから注がれていたものであった。 しかし、禁酒法とそれに続く大恐慌以来、それらのブルワリーはほとんどが姿を消し、それと同時に、脈々と家族に受け継がれてきた醸造秘法も、いつしか消えていってしまった。 第二次世界大戦が終わる頃には、当然ビールは大衆の飲み物としてとっくに復活はしたが、それから先は、ほんの一握りの大手ビール醸造所がつくった大量生産ビールを大量消費する時代となっていった。
ところが1980年始めに、時を合わせたように何人かのビールを愛する実業家たちが、個人経営の小規模な商業ビールを作ることを始めた。マイクロブルワリーの復活である。 このマイクロブルワリーは、すでに忘れられていた伝統的なビールの醸造法を用い、材料も大手がコスト削減のためずっと避けてきた、天然の基本素材、モルトとホップと水と酵母だけという、オリジナルに忠実なものを目指していった。 このマイクロブルワリーも、最初はなかなか苦戦したが、いったん火が点くと、あっという間にアメリカ中に新しいビバレッジ旋風を巻き起こした。1985年、アメリカ中にはリージョナルブルワリー(中規模の地域ブルワリー、マイクロより大きい)も含めてわずか、21軒のブルワリーしか存在しなかったが、今日1200を超えるブルワリーが数えられ、この数もまだまだ増えるものと予測されている。ことに、パシフィック・ノースウエストといわれる地域(ワシントン州、オレゴン州、カリフォルニア北部の太平洋岸沿い)は、他のどの地域よりマイクロブルワリーが集中している地域である。その中でもポートランドはマイクロのメッカとして君臨、あのマイケル・ジャクソンによれば、ポートランドとブルワリーの数で唯一挑戦できるのは、ドイツのケルンだけだという。 ![]()
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オレゴンでは、Cartwright Brewing Companyというブルワリーが第一号ブルワリーとして、1980年にポートランド市内にオープンした。その営業は2年間しか続かなかったが、ポートランドの人々の反響は熱狂的だったという。「ビールはまずいし、ボトリングはひどかった。でも、人々は"オレゴンのマイクロブルワリー"というものにとても期待していたのよ。」と、ブリッジ・ポート・ブルーイングの創設者、ナンシー・ポンジ女史。 次にオープンしたのが、Bridge Port Brewing Company。現在でも健在でポートランドで最も古いマイクロとして知られている。まだまだマイクロは一般的には無名の存在だったので、創設者たちは口コミで人々にアピールしていった。人々はこのアイディアにとても感心を持ち、なんとかポートランドのブルワリーが成功するようにと応援してくれたので、多少不出来なものがあっても見逃してくれたという。 こうしてマイクロブルワリーが徐々に浸透していくにつれ、ブルワーたちの協力姿勢も育っていった。ブルワーたちは、ワイナリーのテイスティングルームと同じ概念のブルーパブの存在を許可してもらうよう、行政に働き掛ける。お家業で成長分野であるということから、ついに1985年に法規改正に成功。その年、現在では大きなチェーン展開をしている、マクメナミン兄弟の最初のブルーパブ、そしてオレゴン最初のブルーパブ、ヒルスデール・パブがオープンする。
同じく1985年の夏に、第3番目のマイクロブルワリー、Widmer Brothers Brewing Companyがオープン。デュッセルドルフで修行をしたブルーマスターでもあるカート・ウィドマー氏は、そこで学んだアルトビールを中心にドイツ上面発酵ビールをフィーチャーしたブランドにすることにした。 そして1986年、アート・ラランスとフレッド・バウマンにより第4番目のマイクロブルワリー、Portland Brewing Companyがオープンすることになる。 ラランス氏の「ミュンヘンのオクトーバーフェストと、グレート・アメリカン・ビア・フェスティバルの2つを合わせたようなビール祭りをつくりたい」という希望から、オレゴン・ブルワーズ・フェスティバルのアイディアが生まれた。 こうしてポートランド、ウィドマー、ポートブリッジの3マイクロブルワリーが中心になってこの計画を実行に移すべく奮闘。このフェスティバルの目的は、"ビールをジャッジするのではなく、マイクロブルーのビールを世間に広めること"。何の経験もないこれらの雄志たちの活動は、さまざまな分野の協力を呼び、ホームブルワーのグループである、オレゴン・ブルー・クルーなどはボランティアを誘導したりしてくれた。 こうして開かれた最初のフェスティバルは5000人の予測に対し、ふたを開ければ15000人の入場という大盛況。「当日は暑いは、冷蔵システムはだめになりビールは泡ふくは、で大変だったけど、人々はよくがまんして、それはそれなりに手作りのビール祭りを本当に楽しんでくれた。」と最初にしては大成功だったフェスティバルを振り返る。 ![]()
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第一回目の成功をもとに、これを続けていくことを誓った面々は、"オリジナルのアイディア通り、マイクロビールを世間に広めるため、オレゴンでは手に入らないような、よその州のマイクロも集めよう"と、呼びかけるとアメリカ中のブルワーたちは次々に参加した。この理由をナンシーはこう分析する。「このフェスティバルは、初めての"ジャッジなしのフェスティバル"。そして、主催しているのが、外部のプロモーターとかでなく、私たちブルワー自身であるというところに、多くのブルワーが共感し、協力してくれているのよ。」 こうして、さらにホップやモルト業者、プレスなども招待し、テントの中にはちょっとした教育コーナーなども入れて、さらにマイクロビールの魅力を訴えかけるようにしていった。 徐々に参加ブルワーも増え、またファミリーイベントとして、フェスティバルに来る人たちも変わってきた。最初は30−45歳くらいの間の人が圧倒的に多かったのに、現在では、21−35歳、45−75歳が主流とか。土曜日の昼下がりに3人のおばあちゃんがジョッキ片手にビールをすすっているのも珍しくない光景。たしかに、子供連れの家族が、おじいちゃん、おばあちゃんとの週末のひとときを、ビールとアウトドアで楽しんでいるような光景も多かった。 すでに、ポートランドの人たちは7月に何が行われるのかわかっている。 今年はいつの週末なんだろう? ポートランドっ子のスケジュールとハートをつかんだこのフェスティバルは、これからも年中行事として発展していくことだろう。 また、バラエティに富んだリッチなクラフトビールになじんだオレゴン人が、マイクロブルワリーを「国自慢」にする限り、この業界の未来も明るいようだ。
オレゴン・ブルワーズ・ギルドに聞く、オレゴン・ブルワリー発展の秘密 現在オレゴン州には58のマイクロブルワリーと、そのサテライト・パブを入れてトータル78のクラフトブルワリーが存在する。15分歩けばブルワリーに当たるというポートランドには、38のリージョナル、マイクロ、そしてパブ・ブルワリーがあり、人口50万人そこそこの都市にこれだけのブルワリーを持つところは、他には見当たらない。 オレゴン州にしても、人口800人の町にもブルーパブが存在するくらい、クラフトビールのマーケットへの浸透は深い。 ちなみに数字で見てみると、アメリカ合衆国全体のクラフトビールの消費率は、全体のそれの約2〜2.5%。それに比べオレゴン州では全体の10%、ポートランドに到ってはなんと、28%もの割合を占めている。これはすごい。「ポートランドのレストランやリカーショップは、クラフトビールを置くようにと、"お客さん"に要求されるから当然なんだ。」とオレゴン・ブルワーズ・ギルドのマイク・シャーウッド氏。
なぜオレゴンで、そんなにマイクロブルワリーが発展したのだろう? 同じくマイクは、「パシフィック・ノースウエストでマイクロブルワリーが発達している地域は、ワインが育った地域と一致している。人々はフレーバーという点で、すでに大量生産のものだけでなく、クラフトを受け入れる味覚を養っているのが一つ。 それから、昔からオレゴンの人たちは新しいモノに対し、とてもポジティブな意見を持っている。これまでにない変わったものや、新しいアイディアを支持する傾向があるから、こういったクラフトビールというアイディアも他よりいち早く支持され、それをやろうとする人々を応援する下地があった。さらに、"自分たちの故郷の"というオリジナルを好む傾向もことさら強い、というのも考えられる。」と言う。 また、ポートランド・ブルワリーのバウマン氏によれば、「我々が創立した1980年中半のころ、同じくらいにできた、フルセールとか、ウィドマーとか、ブリッジポートらといっせいにプロモーションしたため、あたかも一緒に行ったように相乗効果を生み出し、一軒ではとてもできなかった宣伝効果を持ったと思う。」と、競合とも一緒になって底上げプロモーションをしていったのも、よかったようである。
ポートランドは、日本の気候と良く似ていて、四季がはっきりし、湿気こそ日本ほどではないものの、夏は暑く、冬は寒い。雨も多く降る。日本のブルワリーの、冬のビールの売れ行き不振を頭の隅において、オレゴンの冬場の売れ行きを聞いてみたら、「全然落ちない。どのブルワリーもシーゾナル・ビール(季節ビール)を持っていて、冬はクリスマス・エール、春にはボック、秋にはオクトーバーフェスト、夏にはスパイスの効いたバイツェンなど、さまざまな趣向を凝らしている。冬場に暖炉の側で、モルティなビールをゆっくりたしなむなど、オレゴン人のビール好きは楽しみ方も心得ている。」とのこと。 なるほど、要は知識レベルの問題か。冷たいビールをゴクゴク、ア〜!というのだけがビールとイメージしていたら、無理な話だ。
ところで、このオレゴン・ブルワーズ・ギルドは、一体どんな活動をしているのだろう。1992年に設立されたこのギルド(組合)は、オレゴンで作られるクラフトビールのクオリティを全体的にあげて、全体的に大規模にプロモーションすることを目的にしている。たとえば、全部のブルワリーの広告とマップののったパンフレットを作り、ホテルにおいたり、ブルワリーやクラフトビールがもっと振興するよう、行政への交渉や圧力団体として働いたり、ブルワリーのリサイクルの指導をしたり、こういうイベントを構成して大掛かりなプロモーション活動をしたりしている。 また、イメージとクオリティ強化のために、オレゴン独自の品質基準を決め、それをクリアした、"クリーン"なビールを作っているか、また、そのビールのスタイルに決められたある一定の決まりごとを守っているかなどのチェックも行い、オレゴンビールの品質ウォッチ・ドッグとしての役割も果たしている。 実際、それらのスタンダードを超えたビールという証拠に、品質を保証した"オレゴン産"マークをパッケージにつけるように、つい先日決定したという。毎月各同盟ブルワリーが集まってミーティングを開き、プロモーションや改善点を話し合っているそうだ。 こういう努力もオレゴンブルワリーたちの成功の秘訣の一つであろう。
ビールの品質を聞いてみたら、「ポートランドにはすでにたくさんのブルワリーがある。へたな品物をだしていたら、他に行くところはたくさんあるわけだ。ブルワリーはどこもそれを知っているから、失敗は許されない。パイロットなどで試験醸造したものをパブで飲ませたりはしているけどね。どこも微生物学的に失敗したら終わりだから、とても神経をとがらせていて、そういうムードが全体の品質向上を促している。クリーンなビールをコンスタントに作るのは当たり前の課題だ。」 今後のクラフトブルワリー産業の行方は? 「さすがにポートランド市内では、かなりスローダウンしてきているが、それでもマクメナミンがさらに一軒パブを増やした。それに5000人の町に2つもブルワリーがあっても平気なくらいだから、まだまだオレゴン全体では増えていく。だって、まだ全体の90%の人がバドワイザーを飲んでいるのだから、そこに入っていく余地はたくさんある。」
ちょっと奥に入れば、ホップ畑も広がるオレゴン。地元密着型のオレゴン人の気質ともあいあまって、クラフトビールはどんどん育っていった。そして、クラフトビールが育つにつれ、オレゴン人の味覚も育っていった。このコンビネーションが日本のどこかで育っていくことを期待するばかりである。 Copyright 1997 Yuki Olsen
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