古墳群の話のところへ戻りまして、資料(2)で「縣」というのが出てまいりました。
「あがた」というのですが、いったい何かいうと、次第に大和朝廷が権力を握り勢力を日本全国に行き渡らせます。
そのとき各地方にいくつかの豪族がいるのですね。それを力をもったものが従えていきます。従えてその土地を自分の土地に、大和朝廷が取り上げていくのです。
取り上げていったあと、今度はその土地にいた豪族たちに、おまえはここの主やということで「県主」という名(姓かばね)を与えて、そこで作物を作らしたり、絹、着物ですね、そういったものを収めさせたりしていました。それを「県」というのです。
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その猪名野のことについて先程説明しました日本書記の中で、十五代天皇、応神天皇のことを書かれたものの中に、猪名部ということが出てくるのです。
その猪名部というものの由来が載っております。
資料(2)に書いていますように、新羅の国から日本に対して貢ぎ物を持って、船に乗って毎年やってくるのです。
その船が、武庫の港で停泊中に火事を起こしまして、周りにある日本の船も焼けてまうのですね。非常に天皇が怒ってですね、向こうがやったことですから「弁償せえ」と。
物資は重要ではないですけど、船は本当に弁償してもらわないと困るのです。その失火の代償に、それでは立派な船を造ってお返ししますということで、向こうからそういうものの技術にたけた人を日本の国に送って、船を造ってお返しをしたわけですね。
そのことが日本書記に書いてあるのです。それらの者を猪名部と呼んでるのですね。
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次は、仁徳天皇で十六代目です。
非常に情け深い天皇で、だから名前が仁と徳という名前がついているのですが、ある日、高殿にあがって、国くに民たみの暮らしを見たのです。
夕方ですからさぞかし夕飯の支度であちこちから煙が立ちのぼって、民はいい生活していると思ったところが、全然煙が出てない。
どうしたことかと調べさせたら、凶作つづきで、朝廷に食べ物を献上したらもう自分らの食べるものがない。だから炊くものがなく、民の釜戸からは煙が立ちのぼっていないと聞かれて、租税を免除したというありがたい話がありますが、その仁徳天皇のところに猪名県(いなのあがた)というのが出てまいります。
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この仁徳天皇という人は高台に上ってあちこち見るのが好きなのでしょうか。
夏のある日、お后と一緒に高台に上って涼んでいたところ、栂尾、これは今の大阪の栂尾ですけれど、そちらの方から鹿の鳴く声が聞こえてくるのです。
これをいつも夫婦でその声を楽しみに聞いておられたのです。
ところがあるとき鹿の鳴き声がピタッと止まった。おかしい思っていたら、猪名県に住んでる佐伯部という、これは朝廷の軍隊とかですね、巻狩の手伝いをしたりして仕えてる者なのですが、この佐伯部というのが鹿を献上してきたのです。
この鹿どうしたかと聞いたら、自分が鹿を捕って持ってきたいうのです。天皇は非常に怒りまして、お前のようなやつは顔を見るのもいやだと、もう猪名野には置いとけないと今の広島県、安芸国へ移してまうのです。
そういうことが日本書紀の中に書かれてあります。ここに猪名県というのが出ています。
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