第十章 地名が語る伊丹の歴史
〜伊丹郷町とその周辺〜
安達 文昭

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 ところで、今日はたくさんのこと言わんならんので、ぱーっとかなりスピードを上げてやってきました。あんまり話を脱線させておったら、だんだん残り時間が気になりだしてくるのですが、地名のことを少しだけ離れまして、この伊丹廃寺にまつわる、一つのドラマチックなエピソードをご紹介しておきたいと思います。これは、まあエピソードですからね、ちょっと史実かどうか、わからないんですけど。
 先ほどから言っております辻村、「辻の碑」が建っております辻村ですね。そこから三百メートルほど北に、教善寺というお寺があるんですよ。教えるという字と善悪の善です。教善寺。駄六川を渡って、ちょっと行ったところです。そのお寺のご本尊は、阿弥陀如来立像。立っておられるお姿です。で、この仏像は伊丹市の文化財に指定されております。美しいお顔、優しいお顔の阿弥陀さんです。


 突然、そんな話になってきてますけど、実はこの阿弥陀さんには、驚くべきナゾが秘められていましてねえ。教善寺に伝わる史料によりますと、なんと、その阿弥陀さん、伊丹廃寺といわれている良蓮寺のね、かつてはそこのご本尊だったというんです。現在は、教善寺のご本尊なんですよ。それが、以前は、良蓮寺(伊丹廃寺)のご本尊であったというんですよね。
 では、なぜ、いま教善寺にあるのでしょうか。お寺に伝わる史料によりますとね、天正七年(一五七九年)、これはあの有岡城が落城した年でありますが、そのときに、信長の兵はあちこちに火を放ったんでしょう。昆陽寺だって、やっぱりそのときに火を付けられて焼け落ちた、ということですからね。それで、良蓮寺にも火の手が及んでですね、お寺が炎上したと。そのときに間一髪で助け出されたご本尊が、この教善寺の阿弥陀さんだと。まあ、こんなように書いてあるんですよ。


 ということは、四百年ほど前まで、まだ良蓮寺は健在であった、ともいえますよね。それで、信長軍が焼き討ちをかけたとき、お坊さんや村人たちが、必死の思いでレスキュー隊を組織し、間一髪、阿弥陀さんのピンチを救ったんでしょうか。心あたたまる、ロマンにあふれた話だということがいえると思います。
 ついでに申しておきますと、良蓮寺は鋳物師にあったわけですからね。で、教善寺というのは北村にあるんですよ。かつての北村は、辻村や鋳物師村の本郷なんですね。その村の中心的役割を果たす集落です。ですから、枝郷の良蓮寺が焼き討ちにあったとき、そこのご本尊であった阿弥陀さんが村人たちに助けられ、本郷である北村の教善寺にかくまわれたと。それが現代に伝わっておると。まあ、そういうことになりますよね。

 この北村の部分、ずいぶん長くなりましたが、最後に、あともう一つ、「大鹿村」というところです。これは現在の大字でいいますと、大鹿、桜ケ丘、瑞穂町、瑞ケ丘。その区域が、かつての大鹿村であります。伊丹町の北西部にあたるところで、先ほどから申し上げております辻村から伊丹坂を登ってきまして、西国街道を少し西のほうへ進んできたところです。
 で、その「大鹿」という村名の由来ですけどね、これは、平安時代の武将で坂上田村麻呂という人、その人が、この地区で鹿狩りをしたという伝説によるらしいんです。大同二年(八〇七年)、田村麻呂がその地の森で大きな鹿をしとめたというんですね。それで、後世になってから、その故事にちなんで「大鹿」という地名が起こったといわれています。


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