第十章 地名が語る伊丹の歴史
〜伊丹郷町とその周辺〜
安達 文昭

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 次に、職業町名をみてみましょう。先ほど読み上げました、古い地名の中に、「○○屋町」というのがずらずらとたくさんでてきましたね。「鍛冶屋町」とか、「米屋町」「魚屋町」「竹屋町」などです。そういう職業町名は、まさしく酒造りで栄えた伊丹の、活気のある町の様子を彷彿とさせるのではないでしょうか。
 で、伊丹第一ホテルの北側にあたる場所に、「紺屋町」というところがありました。これは、伊丹にとっては非常に歴史に残る地名でしてね。この場所、この「紺屋町」には、近衛家の会所があったんですよ。近衛家の会所跡の建物は、かなり近年まであったんです。伊丹は江戸時代、二百年以上にわたって近衛家の領有地であったわけですが、その武家屋敷風の建物、昭和二十九年(一九五四年)に、惜しくも火事のために焼けてしまいました。伊丹市役所が中央三丁目にあったとき、大火事で一瞬のうちに焼けてしまったという出来事がありましたがね、そのとき、同じ敷地内にあった近衛家の会所跡も焼失したというわけです。


 その「紺屋町」、市役所ができる前は、そこに伊丹小学校があったということです。伊丹小学校の発祥地がその場所だったというわけですね。市立伊丹高校の前身である伊丹町立裁縫学校も、同じくその場所にあったんだそうです。ですから、「紺屋町」は市立伊丹高校の発祥地でもあるということですね。
 それから、次へいきますが、酒造りに関連した地名です。伊丹の近世江戸積酒造業の名残を象徴的に物語る地名、それは「湊町(みなとちょう)」という地名だろうと思います。「湊町」というのは、その地図の伊丹村と書いてあるすぐ右側のところです。まさに、このすぐ近くなんですよ。レジメにも「湊町は伊丹一丁目」と書いておりますね。この富士ホールのある場所も、伊丹一丁目です。すぐこちら(北東)の方角に、小西酒造さんの富士山蔵という大きな酒蔵がありましてね、惜しくも阪神大震災で壊れて、いまはもう取り壊された状態ですが。その富士山蔵のあった辺りを含めて、有岡城の近くのほうまで、その辺り一帯が「湊町」という地名だったんですね。
 この高台の町に港とは、ちょっとおかしいんやないか、という感じがしなくもないんですが、実は港なんですよ、これ。伊丹産の銘酒を積み出す港があったから、「湊町」なのです。元禄年間(一六八八〜一七〇四年)に、有岡城の北堀を利用して、船着場が設けられました。そこから駄六川を経由して、猪名川へ出るのです。その港から、毎年コンスタントに、二十万樽もの清酒が江戸へ旅立って行ったんですねえ。その意味においても、「湊町」は非常に象徴的な、由緒ある地名だと思います。しかし、その地名も、もういまはありません。

 ところでですね、ちょっと私事で恐縮なんですけど、私は個人的にも、この「湊町」という地名に、非常に愛着があったんですわ。といいますのは、私の先祖がですね、この伊丹で江戸時代から樽屋をしておりましてね。「樽文」(たるぶん)という屋号の樽屋でした。酒樽を作っておったわけです。ですから、先祖が作った酒樽も、伊丹のお酒を満タンにしてですね、その「湊町」から江戸へ旅立って行ったという、まあそういう、我がルーツに対するノスタルジアもありまして、愛着のあった地名であったんですけどね。えらい個人的なこと申し上げて恐縮でしたけれども、そういう地名もことごとくなくなってしまっておると、いうことです。
 で、このほか、「泉町」だとか「井筒町」という地名もありました。これはまあ想像ですけど、この地名の場所には、この言葉の意味からして、酒造用水をくみ上げる、深い井戸でもあったんではないでしょうか。


 それから、「裏屋町」というところには昔、裏長屋がありましてね。酒蔵で働く酒造米踏人という、米を足で踏む、足で直接踏むのではなくて、もちろん臼の杵を踏むわけですが。そういう酒造米踏人という人たちが住んでいたといわれています。
 それと、「袋町」という地名がありました。これは酒袋を作った町ではないかなと、私が勝手に想像しているわけですがね。「袋町」というんですから、酒袋を作っておった、そういう酒造関連産業の一端を担った町ではないかと思います。
 で、当時の酒造工程では、成熟したもろみを酒袋に入れて、酒槽(ふね)、木で作った大きな箱のようなもの、長寿蔵の二階ミュージアムにありますね、現物が。その酒槽の中で、酒袋を搾ったんです。そのあと、猪名川で、その袋が洗われたということのようであります。『日本山海名産図会』という史料に、そういうことも詳しく書かれておりますが、その光景をですね、伊丹生まれの俳聖、上島鬼貫(一六六一〜一七三八)がこのように詠んでおります。
   賤の女(しずのめ)や 袋あらひの 水の色
 この俳句は、産業道路ぞいにある、伊丹酒造会館、この場所からもう少し南へ向かって、左側です。伊丹三丁目。そこに酒造会館というのがありましてね、そこの門のところにあります大理石の額に、この俳句が彫り刻まれております。


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