平成4年(1992)1月30日付『読売新聞』
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ちなみに、この「金岡町」「清水町」という地名ですけどね、これは故事をふまえた由緒ある地名なんですよ。平安初期の仁和三年(八八七年)、伊丹西郊の聖地「猪名野」(旧稲野村)がですね、遷都の有力候補地にリストアップされたといわれておりましてね。そのときに、宮廷画家の巨勢金岡(こせのかなおか)という人、その人が地形とか風物とかを描いたわけですね、「猪名野」の。そのときの水、清水三丁目というところに、現在もその泉が残されております。その泉の水を絵筆に用いて絵を描いたという、そういう故事があるようでしてね。で、金岡という人が使った泉やから、その泉が「金岡の清水」と名付けられたというわけなんです。それで、後世になって、「金岡町」「清水町」といった地名が生まれたということです。
それから、伊丹郷町の東の崖の下には、「古城下」だとか「狐塚」とか「黄金塚(こがねづか)」という地名がありました。「黄金塚」というのは、同名の古墳があったところでしてね。東洋リノリュームの敷地の中に、いまもその古墳の痕跡が残されております。
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なお、以上に申し述べました、旧伊丹郷町とその近辺の地域(旧来の伊丹町)はですね、いずれも住居表示が実施されておりまして、すべて新しい大字になっています。そのエリア内にあります、現在の大字を列挙しておきましょうか。それはですね、伊丹、宮ノ前、中央、北本町、南本町、東有岡、清水、船原、西台、行基町、平松、梅ノ木、鈴原町、以上の十三地区であります。
では、次にですね、北村、大鹿など、伊丹郷町の北側に広がる地域、そこをみておきたいと思います。そこまでが、旧「伊丹町」だったわけです。
で、それはその次に書いておりますように、明治二十二年(一八八九年)ですから、もう百年以上も前ですが、そのときにですね、伊丹郷町を中心とした旧来の伊丹町と、その北側に連なる天津村、北河原村、北村、大鹿村が合併しましてね、正式な町制がしかれたわけです。町村制の施行によって、新たに「兵庫県川辺郡伊丹町」という形でスタートしたと、こういうわけですね。
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その四年後、明治二十六年(一八九三年)に、伊丹の町に待望の陸(おか)蒸気、蒸気機関車がやって来るわけなんですね。尼崎から、伊丹、池田を結ぶ蒸気機関車、JR福知山線の前身であります。それがこの町に華々しくデビューしてきたとき、伊丹の人々は熱いまなざしでSLを見つめたことでしょう。
まず、「天津村」からみていきましょう。現在も、天津という大字があります。JR伊丹駅の北東、猪名川と駄六川との間に位置しております。で、天津という村名の由来は、猪名川の対岸、神津地区に桑津というところがありますが、桑津と同じく古代に港があったからだ、ともいわれています。しかし、ちょっとこれは詳らかではありません。
次は、「北河原村」です。天津地区の北側で、ここも猪名川と駄六川にはさまれています。で、村名の由来は、伊丹町の北の河原でしょう。ずいぶん低湿地だったもんで、集落もろとも、いくたびも水害のピンチに見舞われたといわれています。
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