第十一章 地名が語る伊丹の歴史
〜それ以外の旧村地帯〜
安達 文昭

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 中山寺は、聖徳太子の発願によって建立されたお寺だ、といわれます。そのせいか、この荒牧村にも、聖徳太子にまつわる伝説があります。聖徳太子が開墾せしめた田んぼに、初めて種がまかれたという、そういう言い伝えがありましてね、「荒牧」というのは、「新たに種をまく」という意味なんだそうです。それで、当初は「新蒔(あらまき)村」と表記された、ともいわれています。

 それから、次は、「荻野村」です。中国自動車道の南、天神川にそったところです。ここはすでに住居表示法が適用されておりまして、荻野一丁目から八丁目となっていますが、昔からの集落には、「北宅地」「中宅地」「東宅地」「(たつみ)宅地」といった、屋敷地を示す地名もありました。
 次は、「大野」です。荻野地区の東側で、ここもすでに住居表示法が適用されております。江戸時代から山本村(宝塚市域)は植木産地として、園芸産業が盛んだったのですが、この地は、その山本村が切り開いた、「大野新田」という地区だったわけです。そのため、大野には旧村名はありません。山本村の一部でした。もともと原野だったので、「大野」という地名がつけられたんでしょうね。

 それから、「鴻池村」です。現在の大字でいいますと、鴻池、北野です。で、北野地区だけは、すでに住居表示法が適用されています。それにしても、この北野という地名、あんまり批判めいたこと言うたらいかんのかもしれませんが、これはもう歴史をないがしろにした、ずさんな地名のつけかたですよ。そう思えてならないんですよね、これ。
 今日、申し上げた地名の中に、南野がありましたでしょ。中野も、東野も、西野もありましたな。これらは昔から延々と続いた、歴史のある村の名前なんですよ。ところが、この北野は、鴻池村の一角に近年デビューしたばかりの、新しい大字なんですね。由緒ある古い村の名前と肩を並べるようにして、ポツンと、北野が出現したんです。いずれも方角を示す地名ですが、南野があるから北野も、という、まあそんな感じですよね。


 ところで、伊丹スポーツセンターのある町として知られる鴻池村、ここには鴻池という名前の池がありました。いや、今もあるんです。村の西はずれにある黒池なんです。その黒池を、昔は鴻池と呼んでいたようです。で、その池の名にちなんで、「鴻池村」という村の名前がつけられたと、いわれています。
 鴻池村のいわれとなった黒池は健在でありますが、その南西側に黒池よりまだちょっと大きめの池、西池という池があるんですけどね。西池はもう半分以上、埋め立てているんですよ。そこに、何かができるんでしょうね。それから、黒池の北側に、新池という池がありました。しかし、そこはもう二十年以上も前に埋め立てられましてね、いまは県立伊丹北高校になっております。北高の所在地は、新池のあった場所なのに、なぜか、「鴻池字西池」ですけどね。


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