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それと、この鴻池地区には、「街道下」という地名が残されています。スポーツセンターの近くですが、これは、村域を丹波道が横切っていたことを物語る、貴重な地名だと思います。伊丹と丹波地方を結ぶ丹波道、その歴史街道ぞいに、「街道下」という小字がつけられていたわけですね。しかし、この由緒ある地名も、やがて姿を消すのでしょう。寂しいですね。
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最後に、この鴻池村には、近世史をいろどった、ユニークな歴史がありますので、お話し申し上げたいと思います。
戦国武将・山中鹿之介、ちょうどこの日曜日に、NHK大河ドラマに山中鹿之介がちょっとでてくる場面があったんでしたかな。その山中鹿之介の次男、まあ一説には、長男とも孫ともいわれてるんですけど、その人が慶長五年(一六〇〇年)、この鴻池村でですね、初めて清酒を開発したといわれています。
その人(山中幸元)はですね、父の死後、親戚を頼って伊丹の鴻池村へ逃れ、清酒の醸造に成功します。彼は新六と名を変え、商人に徹したんですね。村の名前にちなんで鴻池屋を屋号とし、鴻池姓を名乗りました。そうして、馬の背中に酒樽を乗せ、江戸へ下ったんだそうです。花のお江戸で、鴻池屋の清酒は爆発的な人気を博したといわれます。こうして、巨万の富を築いた新六はですね、大坂へ進出して、両替商や新田開発などの多角経営を展開しました。実は、この人物こそ、のちに大坂の鴻池財閥の元祖となる、鴻池新六(一五七〇〜一六五〇)だったのです。
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先ほど申しました、伊丹の鴻池地区にある黒池、そのほとりにですね、小さなお稲荷さんがまつられておりまして、鴻池稲荷祠碑という石碑が建っています。この碑には、鴻池家の由来などが刻まれているんですよ。これは、伊丹市の指定文化財であります。
それにしましても、この鴻池新六のようにですね、先に「鴻池」という村の名前があって、その村名を苗字に用いたケースは、珍しいのではないかと思います。
以上、前回と今回の二回にわたりまして、伊丹市内の古い地名を取り上げ、それにまつわる歴史とか文化について、展望してみました。まあ私は、アマチュアの郷土史ファンにしかすぎないのでありますが、こうして、伊丹の地名の話をさせていただけるのも、この伊丹の町が輝かしい歴史や文化にいろどられた町であった、そのおかげであると、我が郷土に深く感謝している次第でございます。
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(伊丹市文化財保存協会理事)
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