第十一章 地名が語る伊丹の歴史
〜それ以外の旧村地帯〜
安達 文昭

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それから、その山田地区の南、地図の右下のほうに、野間北と印刷されてますね。この地区は、新たに野間北一丁目から六丁目と、変更になるということです。新幹線から南側は、野間一丁目から八丁目と、すでに住居表示法が適用されています。このようにですね、まだ住居表示法が適用されていないところも、次々と町名が変わり、「○丁目○番○号」となっていくわけです。


 さて、次へいきましょう。次は、「南野村」です。ここは現在の大字でいいますと、南野、南鈴原、安堂寺町、柏木町です。この南鈴原というのは、いちばん最近に住居表示がなされたところです。南野地区は、旧稲野村のいちばん南の端に位置するところ、ラスタホールがあるところですね。そのラスタホールのある場所は、 「南野字矢倉塚」。ここはまだ「○丁目○番○号」とはなっていませんので、「南野字矢倉塚」です。その「矢倉塚」という地名は、古墳の名残をしのばせる塚地名ですね。それから、柏木町というところの一丁目に、柏木古墳の痕跡がくっきりと残されています。高さ五、六メートルくらいのこんもりとした丘です。

 阪神大震災のあと、その柏木古墳のすぐ近くの、民家が壊れた跡地で、発掘調査が行われました。現地説明会もありました。その古墳、円墳なんですけどね、その円墳の堀の部分が出土しました。地下一メートル五十センチくらいの深さのところです。その堀のカーブする角度から、柏木古墳は直径五十五メートルという、この近辺でも最大規模の円墳であるということがわかったんだそうです。
 その墳丘は、現在、南野村のお墓になっております。で、その近くの旧地名はですね、「墓ノ下」という、ずばり墓のつく地名でした。こういう地名はまあいうたら、変えてもらったほうがいいかもしれませんけどねえ。どうでしょうか。近くには、「土手ノ内」という地名もありました。これは、古墳の堀の土手、堤防があったその内側ということでしょう。それで、その南側は、もう塚口村(尼崎市域)なんですよ。「塚口」という地名は、この近辺にたくさんあった古墳群、その塚へ通じる入口という意味だと思います。


 それから、その次、「御願塚(ごがづか)村」です。現在の大字でいいますと、御願塚、稲野町、若菱町、南町です。この若菱町は、塚口にある三菱電機伊丹製作所の社宅用地としてスタートした町でして、三菱の「菱」という字がつけられた企業町名です。先ほど、南野村のところで、南鈴原はつい最近そういう大字になったといいましたが、それ以前、そこは南野南菱町という地名でした。ですから、若菱町(わかびしちょう)は若い菱、南菱町(なんりょうちょう)は南の菱、どちらも三菱の「菱」をつけた企業町名なのです。

 さあ、その御願塚村ですけど、この村の近辺にはですね、四つの円墳がありました。その名前は、破塚(やぶれづか)、満塚(みちづか)、掛塚(かかりづか)、温塚(ぬくめづか)。この四つの古墳の真ん中に、御願塚古墳が位置しているというわけなんですよ。阪急稲野駅の西側にある御願塚古墳。これは兵庫県指定の史跡です。この古墳だけが前方後円墳でしてね、まわりに周濠があります。で、これらを合わせた五つ、つまり、四つの円墳と御願塚古墳を合わせた五つ、この五個の塚で、五個塚(ごがづか)というふうに呼んでですね、これが「御願塚村」の村名の由来になったと、このようにいわれています。

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