第四章 伊丹城の城主 伊丹氏
〜伊丹氏の足跡〜
伊丹 茂

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 落ち武者の里を尋ねて
 昭和六十年頃、私は友人と大阪交野市にある傍示村を尋ねました。傍示村は生駒竜王山の北、山深い山頂にあり、村といっても四軒しかなく、今は誰も振り向きもしないハイキングコースの道すがら、ここが伊丹氏の落ち武者の里と聞いていましたが、尋ねるのはこの日が始めてでした。
傍示の里 昔、伊丹村と呼ぶ人もあった。

村を回って四軒のうち三軒のお家に伊丹といを表札がかけられていて、その一軒の義信さんといわれる長老の方にお話を聞くことができました。本家といわれるお家が火事で焼けて、古い書物等一切残っていないとの話で、少しがっかりしたのですが、お話では昔は三十戸程あって、そのほとんどのお家が伊丹姓でしたが、今では生活が不便ということで、大阪や、奈良に移り住まわれた等のお話を伺いながら義信さんは通りの道の傍らにある、石の鳥居の前に案内して下さった。見るとその鳥居の裏側には「京都 伊丹氏宗宣」と深く彫り刻まれていて、表側は、カビなどで読みにくくなっていましたが、「伊丹庄兵衛」(九七頁の写真)と刻まれているようでした。鳥居の向こう側は山で、竹が生い茂り、その樹木の狭間に小さな祠が覗かれました。

 次にお寺に案内されました。氷室山八葉蓮華寺と立派な名前が付いていましたが、凡そ寺らしくなく、小さな建物が一つ建つだけで、ただその前庭には、かなり古いと思われる五輪塔や大小の石塔が整然と並んでいて、そのいずれの塔の礎石にも伊丹某と名前が刻まれていて、なんとなく氏寺らしさを漂わせていました。
氷室山八葉蓮華寺

後で聞いた話ですが、以前はこの東に立派なお寺があったそうですが、やはり火事で焼けて、墓石や塔石が竹藪に埋まっているとのことでした。仏像を見てほしいと言われて、本堂に上がり、鍵のかかった観音開きの戸を開かれました。見ると中に阿弥陀如来立像菩薩の端正な姿があり、その気高い美しさに驚いて、是非役所に届け出て、調べてもらうようにお勧めして、その日は帰りました。

 NHKの歴史の招待というテレビ番組に、この傍示村の仏像が映し出されたのは、それから数カ月後であったと思います。不意の出現で本当に驚いたのですが、義信さんが数人の人を案内され、やがて仏像の上部が取りはずされ、中から書き物が取り出されました。そして快慶作の仏像であることが判明していきました。伊丹氏がなぜ快慶の仏像を持っていたのか、不可解というほかないと思うのですが、強いて考えれば、鎌倉時代、かなりの権力を持ち、地位があった証として、大切に保存していたのか。それにしてもです、あの戦国時代、敗戦して、山に逃げ込んだ落ち武者です…、敗走しながらも仏像を手放すことなく、この山中に担ぎ込んだ…ということなどでしょうか…。義信さんから、数枚の仏像の写真が、送られてきたのは、それから半月ばかり後でありました。

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