第四章 伊丹城の城主 伊丹氏
〜伊丹氏の足跡〜
伊丹 茂

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 (補稿)
 この阿弥陀如来立像は、高さ八十二・四センチの半等身像で、来迎印を結び、わずかに左足を踏み出して、衆生に向かって来迎するありさまをあらわしています。
 その作風や銘記により、この像の作者が、鎌倉時代の名匠、快慶であることが最近明らかになりました。
 快慶の仏像は、奈良・京都を中心に三十数例が知られていますが、ここに新たに貴重な一作例を加えることになったのです。
 快慶は、藤原彫刻の優美さを受け継ぎながら、写実的な表現を踏まえて、日本人の心に強く訴える、独自の形式美を備えた仏像の美の形を創造し、後世に大きな影響を与えました。
 中でも、この像のような、彼の創り出した半等身の来迎印を結ぶ阿弥陀如来立像は、その小づくりで静かな優しさが人々に好まれたため、後世それにならって多くの模刻像がつくられることとなったのです。
 その系統の像を阿弥陀様と呼んでいます。
 像はひきしまった頭部と、太づくりの上体をそなえ、全体に自然な前傾の美しさをもっています。


 顔は、少し目尻の上がった青年のような若々しい相好にあらわされ、その表情は穏やかで、静かな感情をたたえています。
 流れるような衣文は美しく整えられ、しかも自然な動きを失っていません。
 端正なその姿からは気品が漂うようです。
 放射光形式の光背や、六重蓮華座も、造立当初のもので、仏像・台座・光背の三拍子がそろってセットで伝わっているのは貴重です。
 しかも全体に、後世補ったところや、欠けて無くなった部分は僅かで、驚くほど保存状態は良好です。

 用材はヒノキ材で、この時代に小ぶりの像によく用いられた割矧造りでつくられていると推定され、眼は玉眼としています。
 像は螺髪を群青彩とするほかは、肉身と衣を漆箔仕上げとし、光背と台座には、群青、緑青および朱などで彩色を施し、一部に切金をおきます。
 ただし、現在見えている金箔と台座の彩色の一部は後に補ったものです。
 快慶の署名は、左足柄の外側に墨で「巧匠 アン(梵字)阿弥陀仏」と謹直ながら、必ずしも能書きとはいえない筆致で書かれています。
 かれがこの形の署名をしたのは、建久三年(一一九二年)頃から、建仁三年(一二〇三年)に至る約十二年の間であることがわかっており、この像もその間につくられたと考えられます。
 この時期は、快慶の造像活動の中でも、かれ自らの様式を追求し模索していた時期です。蓮華寺像の表現にも、全体に形式的に美しくまとめようとする理想化の傾向があらわれており、快慶様式成立へ向けての過渡期の様相が認められます。
 その若々しい姿には、はつらつとした力がこめられ、快慶の意欲あふれる高揚した精神が感じられます。


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