第四章 伊丹城の城主 伊丹氏
〜伊丹氏の足跡〜
伊丹 茂

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 石垣の発見
 昭和四十八年秋、当時の伊丹市長が国鉄(現在のJR)伊丹駅前の再開発に踏み切られたのがきっかけとなって、伊丹市、兵庫県教育委員会で、昭和五十年から発掘調査が進められました。即ちこの地にお城があったという伝説に基づくものでした。この調査には当時大阪大学の鈴木充先生が担当され、その結果金光教というお寺の高台の跡地から、古い石垣が発見されました。そしてその数日後に、当時伊丹市の発掘調査を担当していた浅岡俊夫氏がいま文化庁から調査に来ているが見に来ないかとの誘いを受けて、私は急遽出かけました。そこには東西約四メートル弱、西側に南北約三メートル弱、高さ約二メートルのまだ土で汚れた石垣が顔を出していて、手前の方には幾つかの瓦が散乱していました。石垣には墓石などが所々に積み込まれているのを見て、文化庁の方に質問をしてみました。文化庁の方の言われるには、おそらく有事に対して急遽造られた石垣ではないかと思われます。そして、野づら積みであって即断はできないが京都でよく見られる室町時代の石垣とよく似ていると答えられ、そしていま京都は地下鉄を通すために、幾つかの石垣が壊されているので、もしこの石垣がこのまま残されるなら、日本でも最も古い石垣の部類として評価されるのではとのお話でした。

 室町時代というと伊丹氏の時代ということになります。しかし思うのに、この石垣が伊丹氏の頃であっても、村重の時代であったとしても要は伝説通りここにお城があったという事実が確認されたこと自体が大きな成果であり、たいへん意義深いことであるのです。
 彷彿として石垣を見つめていると、ふと伝説のひとつの起源として考えられる、鬼貫の謳った、
   「古城や茨くろなるきりぎりす」
の句が頭の中に浮かんでいました。
 そしてこの頃から伊丹氏を探究したいと思う心が、強く私に芽生え始めていたように思われます。

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