第四章 伊丹城の城主 伊丹氏
〜伊丹氏の足跡〜
伊丹 茂

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 伊丹と明岡二つの地名
 伊丹伝記によりますと、景親は、城をつくる際に、地名伊丹とその枝郷明岡(あけおか)のどちらを取るか迷ったと述べています。奈良時代、現尼崎と伊丹の間に栄根寺という祈願所があって、この寺の薬師如来が或る時、仏体より光りを放し給へば、この岡のあたり夜も昼の如く明けはなれたりとあり、因って時の人はこの地を明岡と呼ぶようになったと伝えています。明岡は現有岡であって、調べてみますと、つい最近まで尼崎市猪名寺村内に有岡と呼ぶ地名があったようですが、栄根寺は現在、川西市に栄根町という古い地名が残っていて、どちらが本家か言い難いのですが、しかし伝説が地名として残る例は多々あることと思うので、薬師如来の話もいちがいに否定はできないように思われます。そして因みに伊丹という名の語源はもっと古く、学説的にもいろいろと言われていますが、いずれも決定づけられたものは無く、ただ私は字から推察して、丹という字が水や飛沫に関係があることから、猪名川が昔、入り海であった頃の伊丹台地に飛沫する荒波や、目に映る川の情景そのものが語源ではなかろうかと考察しています。

 話は少しそれましたが、伊丹伝記には、景親は明岡を好まず、伊丹城と名付けて自ら伊丹氏を名乗ったと記しています。しかしこの当時は、まだ幕府や世間に伊丹という名前はあまり知られていなかったとみえ、加藤伊丹某、藤原伊丹某と書かれた書状が見受けられます。
 また、加藤氏は先祖、藤原魚名から始まったという下り藤の家紋に加の字を加えて、家紋とし、戦いにも馬印として掲げていたようで、伊丹氏に引き継がれて後も大切に扱われ、後世滅亡するまで使用していたようです。
馬柄杓
 藩主の馬に水を飲ませる時に用いたという言い伝えがある。
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