第四章 伊丹城の城主 伊丹氏
〜伊丹氏の足跡〜
伊丹 茂

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 一五三一年=この時の伊丹城主元扶の弟の兵庫守国扶が城主になっていたようです。国扶はもとの名前を伊丹雅扶と言っていましたが、高国から一字を授かって国扶と名乗るようになったようです。しかし、国扶は専暴な高国を見限ります。そして細川晴元や三好勢と手を結んで、今度は細川高国と天王寺において戦うことになります。まさに戦国の嵐、風雲急を告げるで、戦いはやがて晴元側に有利に進み、高国は大敗して尼崎へ逃亡し、民家に潜むところを発見され自刃します。高国もここに、波乱の一生を終えることになります。(細川両家記)

 一五三二年=戦乱はなお絶え間なく続きます。河内、泉南地方で一向一揆が結束して勢力を広げると、晴元に対抗します。晴元これを鎮圧のため、泉南方面に向かいますが、逆に敗れて淡路島に敗走します。一揆は益々勢力を拡大し大阪から摂津に進撃して、伊丹城を取り囲みます。この頃平城であるにも拘わらず、益々堅城になっていたようで、伊丹城を攻め落とすのに苦労した様子が、(細川両家記)に残されている記述でわかります。「らうかという物を一町あまりづつ二通りこしらへ、昼夜の境なく、尼女まで集り堀をうめければ、難儀に及候処」と。しかしそうしている間に、京都近郊の法華宗が、伊丹氏に味方をして、背後から一向宗に襲いかかったため、一揆側総崩れして敗退したと記述されております。

 一五四九年=この頃、伊丹大和守次郎親興城主となり、細川晴元と結んで各地で奮戦します。この頃、四国勢と仲違いしていた晴元、親興は、播磨の赤松勢と手を組む三好長慶と抗戦します。が晴元側はこの戦いに敗れて京都に逃げ帰ります。そのため摂津の国人衆はすべて長慶方に付くのですが、伊丹親興だけは、あくまで細川方に味方をしたので長慶は昆陽、御願塚などに対城を築き、長期戦に取り組みます。しかしこの頃、自給自足なる堅城になっていた伊丹城は、容易に陥落せず、結局翌五〇年になって、尼崎の本興寺に於いて三好と和議が成立します。その後も、果敢な親興勝運勇ましく、幾つかの戦いに勝利した様子が、伊丹大和守親興禁制文など細川両家記に残されており、また伊丹大和守貞親、兵庫頭忠親等の書状(尼崎本興寺、西宮神社)、禁制文等に見ることができます。

 一五六八年=織田信長、足利義昭を奉じて入京すると、伊丹氏即刻そのもとにつき、茨木城主和田唯政や、池田城勝正と共に摂津の三守護職に任ぜられます。そして信長の命により、石山本願寺攻めや、高野山攻めに参加しますが、しかし伊丹氏はあくまで足利、細川家に尽くすのであって、信長に従ったのではなかったのです。言うなればこの頃の武士は強い方に味方をして、自分の氏姓を守るのが常ですが、伊丹氏はあくまで足利、細川に忠節を守るかたくなな武士であったといえます。

 一五七三年=(天正元年)足利義昭は、信長と対立して槙島城に立て籠もります。この時も伊丹親興は、義昭に味方をして信長に対抗します。しかし義昭は敗れて自刃、ついに室町幕府壊滅、二〇〇年の歴史に幕を閉じることになります。
傍示村の伊丹神社

 信長は、摂津平定の先鉾として荒木村重を差し向けます、村重、茨木城を奪取、城主となり、天正二年になって池田城を攻撃、城主勝正を追放しますと、その勢いて伊丹城に迫ります。この頃、財力、勢力共に衰退をしていました伊丹氏は、村重軍進撃を知ると一族郎党城を捨てて、地方に分散して逃れ去ります。
鳥居に刻まれた伊丹氏庄兵衛」の
文字が読める。

 実に伊丹一族、凡そ三〇〇有余年にわたる攻防、ここに終わりを告げることになります。戦国の世といえども、限りなき戦乱の渦から逃れるすべなく、十四代、十五代にわたっての盛衰、まことに哀れというほかはありません。また、足利幕府、細川家と共に、枕を並べての崩壊であったといえます。その後の調査で、この三〇〇年の間に伊丹の姓を名乗る親族は、かなりの人数にのぼっていたようで、それらの中には武士を捨てきれず、他に士官する者、山里に隠れ住んで土民として暮らす者、様々であったことがわかってきています。

 春秋の
   花と月とを ときならて
    見はてぬ夢の 暁はうし   藤原伊丹之親

  夢さめて
   やとにのこれる 松の風
    花こそあらめ 見し人もなし 藤原伊丹之親

歌碑 JR伊丹駅前

 之親・元親は親子であって、文武兼備の英主であったと伝えられていましたが、亨禄二年、柳本賢二に敗北した際、城内にて親子もろとも自刃しています。


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