このようにですね、やはりその点においても画期的であると、我が国の城郭史は山城から、平山城、さらに平城といった築城形式の変遷でもあったわけですが、この伊丹の有岡城は、その中に忽然としてデビューしてきた、まさに史上初、前代未聞の「総構えの平城」であったと、こういうわけであります。
では、その画期的な城、有岡城を築いた、戦国武将の荒木村重(一五三五〜一五八六)とは、いったい、どんな人物だったんでありましょうか。その素顔に迫ってみたいと思います。
ただし、村重という人物はやはり敗北者ですからね、史料が乏しい、全く残ってないわけですよ。信長側の体制側史料だとか、そのようなものしか残っていないということです。それが世の常なんですが、要するに勝者の記録は後世に残りますが、敗者の記録は残らないと、まあ、そういう点でも荒木村重はいまだもってナゾの人物ではありますが、わかる範囲でお話を申し上げたいと思います。
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そもそも、荒木村重そのものの知名度はあまり高くありませんね。ほとんど知られていないといっていいくらいでしょう。ところが、NHKの大河ドラマ、『信長』だとか『秀吉』、それには必ず荒木村重、有岡城主として登場してくるんですよ。有岡城主、織田方の戦国大名、摂津守、この摂津国一帯を取り仕切る国主大名ですが。出番はほんのわずかではありますが、やはり村重が反逆をしたり、あるいは敵前逃亡をしたりというようなこともあって、ドラマとしてもはずせないわけです。現実に、やっぱり天下布武の信長の行く手をさえぎったわけですからね。行く手に立ちはだかったというわけですから、ドラマにもやっぱりわずかながら出番はあります。
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去年の 『秀吉』の場面、明智光秀も伊丹の有岡城へドラマの中では現れましたね。それから、秀吉の軍師として有名な黒田官兵衛、それも有岡城の場面、もちろんセットで撮影されてるんでしょうけれども。黒田官兵衛、出てきましたよ。黒田官兵衛はもう村重が謀反をおこす直前、最後の場面にやってきたから、もう外へは出せない、解放できない。そのまま監禁して有岡城の地下牢、土牢の中へ閉じ込めてしまうと、これはまあ有名な話ですけどね。
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それと、ちょっと余談ですけど、その黒田官兵衛を助けにやってくる場面があったのです。これ、どうもフィクションだろうと思いますが、なんと石川五右衛門、有岡城へ現れました。え、ホンマかなと思うぐらいですね。コマーシャルにもよく出ている赤井英和さんですか。その人が石川五右衛門に扮して、なんか大筒をドドーンとぶっぱなした場面があって、その石川五右衛門が黒田官兵衛を助けにくる場面あったように思います。
そのように、とにかく 『信長』だとか 『秀吉』といったNHKの大河ドラマにも、必ず有岡城や荒木村重は登場してきます。しかし、村重の出番はほんのわずかでありまして、それも反逆者、卑怯者、逃亡者、そのような、もうマイナスイメージで塗りつぶされておるんです。果たして本当に村重、世間からそのような爪弾きに合うばかりの悪党だったのでしょうか。非常にナゾに包まれております。実態はわかりません。けれども、わかる範囲内で村重のプロフィールを年表形式でまとめてみました。
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