第五章 有岡城と荒木村重
〜郷土史家の研究から〜
安達 文昭

Page1  
Page2  
Page3  
Page4  
Page5  
Page6  
Page7  
Page8  
Page9  
Page10  
Page11  
Page12  
Page13  
Page14  
   
目次へ  
 
 ところが、その年の十一月、突然、荒木村重はね、毛利方と手を結ぶわけです。石山本願寺と手を結ぶわけです。つまり、主君である信長に反逆、謀反を起こすと、結果的にはそういう反逆、謀反です。それで、摂津一帯がアンチ信長の旗幟を鮮明にしてですね、村重は有岡城に籠城すると、こういうわけであります。そういう謀反に至る経緯は省きますが、結果としてやっぱり謀反を起こしたということですからね。で、信長の大軍が籠城した村重、有岡城を攻めるわけですが、やっぱり総構えの城ですし、そう簡単には落ちないということであります。だけど、村重が期待した毛利輝元の援軍はいっこうにやってこない。

 で、天正七年(一五七九年)の、『信長公記』の記述によりますと、「九月二日の夜、荒木摂津守、伊丹を忍びいで、尼崎へ移り候」と書いてあるのです。「忍びいで」って、これ敵前逃亡説です。忍び出て尼崎へ逃げてしまったと、こう書いてあるということですよ。しかし、村重としては待てど暮らせどやってこない毛利の援軍にしびれを切らせ、自分でやはり直談判すべく尼崎へ向かって、尼崎の沖で毛利の水軍とコンタクトを取りたかったのではないでしょうか。

 ところが、村重がそうして外へ出ている間に、先程申し上げました伊丹第一ホテルの近くにあったという上臈塚砦、そこの砦を守っていた中西新八郎というその砦の大将が、織田信長方の、有岡城攻めの総大将は滝川一益なんですけどね、その滝川一益の調略に乗せられましてね。甘い言葉をかけられて、寝返ってしまうと、それで落城になっていくわけなのです。村重としては、まさかそんなことが城で起こるとは思わないから、ひそかに尼崎へ行って毛利とコンタクトを取って、さらにもう一度、城へ戻るつもりであっただろうと思うのですよね。

 それにしましてもね、村重が城を出たこの「九月二日の夜……」というところを読んでましてね、九月二日の夜は真っ暗闇の闇夜やったんやなあと、私、思ったんですよ。「え、なんで、そんな四百年も前のこと、おまえわかるねん」と、まあおっしゃるでしょうね。四百年以上も前、だけど間違いなく九月二日は闇夜ですって、どう考えても。これタネを明かせば単純明快ですが、当時は旧暦ですから。陰暦ですからね。『竹取物語』のかぐや姫の話を持ち出すまでもなく、毎月十五日が満月なんですよ。毎月十五日。そうですね。まあ、満月は月が満ちる「満ち」とか「望(もち)」とか言いますが、望月という苗字がありますね、望月さんというのは満月という意味なんですね。とにかく十五日が満月だと、で、だんだん月が欠けていって、月末は真っ暗闇とね。で、「月が変わる」と今もそういう言い方をしますが、月が変わって新しい月、新月、それが少しずつ少しずつ満ちてゆくと、十五日をめざして。ということは、どういうことですか。月末は真っ暗、月初めも真っ暗闇ですね。だから、荒木村重が忍び出たといわれるこの九月二日も真っ暗がりと、こういうことだと思うのです。

 そんなことからして、九月二日、なにかいかにもこれ、暗示的ですね。計画的にその日を選んだのでしょうか。そうなると暗闇、夜陰に乗じてどこをどう通って、どのように脱出したのかなと、また、思いを馳せたくなる。戦国ロマンですね。猪名川の水面をひそかに小舟に乗って音もなくすーっと尼崎をめざして滑るように抜け出したのかなというような気もしますしね。
 まあ、いずれにしましても、村重の留守中に、お城の中では砦を守っている者が織田方に寝返って、上臈塚砦のあたりから、信長の兵を招き入れるわけです。城方が、「どうぞ、ここから入ってください」と言うわけですね。で、バーッと押し寄せて本丸をめざして突進すると、先程もありましたようにね、「城と町との間に侍町あり」と、「これをば火をかけ裸城になされたり」と、そういう現象が起こって、城は落城するのです。十月十五日、天正七年(一五七九年)の十月十五日、有岡城は落城するわけです。


【次のページへ】


FujiyamaNET は「山は富士、酒は白雪」でおなじみの
小西酒造株式会社が運営しております。

FujiyamaNETに関するご意見・お問合せ:fujiyama@konishi.co.jp
Copyright(c) 1996-2009 konishi Brewing co.,Ltd.