第五章 有岡城と荒木村重
〜郷土史家の研究から〜
安達 文昭

Page1  
Page2  
Page3  
Page4  
Page5  
Page6  
Page7  
Page8  
Page9  
Page10  
Page11  
Page12  
Page13  
Page14  
   
目次へ  
 
 では、次のページに一枚、写真を載せておりますので…。その当時の町場の様子が描かれた古い絵地図、こうした古絵図六点が伊丹市の文化財に指定されております。その中の一つ、『寛文九年(一六六九年)伊丹郷町絵図』という古図を接写してここへ載せました。これは、写真の右側が北で、西の境目あたり、写真の上の部分ですけれども、そこに土塁らしき高まりがくっきりと描かれています。それは、その外側に外堀を設けたと、外堀を掘った土を、城側にですね、うず高く積み上げて土塁としたと、いうことのようであります。

 この写真についてもう少し申し上げますと、「有岡城本丸跡」と書いていますが、これは写真の左下のあたりにちょっと四角くなっているところです。そこにかすかに「本丸」という文字が読めるのではないでしょうか。四角く囲んである右側寄りのところです。その周りに囲んだような形になっているところがありますが、それは内堀です。で、城の本丸の東側にあたる崖の下、ちょっと何か水たまりみたいな絵が描かれてるように見えますが、それは外堀です。ここだけちょっと広く描いてありますが、周りもずっと外堀が描かれていましてね。この古絵図はカラー、色付き地図なんですよ。現物は伊丹市立博物館に所蔵されております。それで、カラーですから、内堀のところも外堀のところも、文字通り水色が塗られています。

 それから、右の上の方、ちょっと森のようになっているところが、猪名野神社です。猪名野神社の前からずっと左の方へ、南ですけどね、南へ続いている道筋、これは現在もあります宮ノ前通りです。この地図は寛文九年、一六六九年ですから、有岡城落城の九十年後です。まあ、この時代は当然時がゆっくり流れたでしょうし、どんどん開発で様変わりするというようなことはありませんので、お城のあった時代とそっくりそのまま、このような形で古図に描かれているということですね。今申し上げました宮ノ前通りのすぐ下のところにもう一本通りがありまして、その下側、ちょっと広く描かれているのが産業道路です。昔から本町、あるいは本町通りといわれてましたけれど。というように、この古地図も、有岡城が総構えの城であったということを物語る貴重な史料だと思います。

【次のページへ】


FujiyamaNET は「山は富士、酒は白雪」でおなじみの
小西酒造株式会社が運営しております。

FujiyamaNETに関するご意見・お問合せ:fujiyama@konishi.co.jp
Copyright(c) 1996-2009 konishi Brewing co.,Ltd.