第五章 有岡城と荒木村重
〜郷土史家の研究から〜
安達 文昭

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 とにかく、この発掘された当時の石垣の写真ですが、これ、手前にたくさんの石が転がっているように見えるでしょう。現実には、手前のところに割れた瓦もたくさん散らばっておりました。この場所は本丸の西北隅にあたるところなのですが、発掘調査団の発表によりますと、この石垣の元の高さは五メートルほどあったんではないだろうか、その上に隅櫓という櫓ですね、射撃用の櫓があったのではないだろうかと。物見櫓であり、攻撃用でもある隅槽があったんではないだろうか、と言われておりました。

  ちょっと余談ですけどね、本丸跡の石垣が見つかった場所には、発掘調査の行われる直前まで、金光教の教会があったんですよ。余談なことで申し訳ないんですが、私の祖母がその金光教の信者でしてね。私は子どものころ、よくそこへ連れて行ってもらって遊んでいた記憶があるんです。その裏山に登って…。三歳か四歳ぐらいのころではないかなと思うんですけどね、小さな子どもですから高いところまでよう登らずに、下の低いところを登ったり降りたりして、遊んでいたんでしょうか。その裏山が、実はお城の土塁であって、そこからこのように戦国時代最古といわれる石垣が出てきたというわけなんですよ。それを見まして非常に感激しましてね、まあ、このような写真を写したり、八ミリフィルムで撮影したりした次第なんです。

 それで、石垣の話の関連事項として、この稿の最後のページを見てください。それのまず右の方からいきますが、タイトル「有岡城跡ウオッチング」という、これ私の出版した本の一部をここへこのように引用したのですけどね、その右の方の写真の方からいきますね。右の上、国鉄伊丹駅の東側にこのような外堀のなごりがあったというわけです。これ、二十年ほど前に撮影いたしました。先程の古い絵図にお堀が描かれておりましたが、あれのなごり、まさしく駅の東側。こんな風景も、最近まで見られたんです。それで本丸の周りに内堀があったと先程申し上げましたが、地面を掘った写真で、「アリオの建設予定地で発掘された本丸西側の内堀」と書いておりますが、アリオという再開発ビルが今できてますね。それが建設される前、その予定地で、発掘調査が行われたときに撮影した場面です。これは本丸の西側にあたるところで、ここに内堀があったと、先程の古図にも載ってましたけれどね。まさしくね、このように古絵図に載っておるそのものが現実に土の中から現れるという、ドラマチックといいますか、感動的といいますかね。非常にやっぱり興味深かったわけです。

 それで、今申し上げました外堀の方の写真の、一番上のところに「白雪」という字が見えますね。この清酒「白雪」醸造元の小西酒造さん、その小西酒造さんの工場です。ネオンがここにあるだけじゃないんですよ。この部分そのものが、全体が四季醸造蔵、古いタイプの酒蔵ではなくてね、完全オートメーションの新鋭設備を備えた、四季醸造工場です。業界のトップを切って、小西酒造さんは昭和三十八年に、こういう四季醸造蔵を完成させておられます。その蔵、その工場はこの写真、たまたまこのアングル、JR伊丹駅の東側から南を向いて撮影したら、ここにその四季醸造工場が写っていたということで、ご紹介をしておきます。

 それから、その左側の大きな石垣の写真ですが、これが先程から言ってます発掘された当時の石垣です。この上の写真、アップで写ってるこれを見ますと、このようにですね、石組みの中に宝篋印塔だとか五輪塔の基壇、あるいは一石五輪塔などが無造作に突っ込まれています。荒木村重はですね、大急ぎで石垣を築くため、手当たり次第に近くの墓地から墓石をバーッとかき集めてきたんでしょうか。京都の地下鉄工事のときに、信長の築いた二条城に関連するようなところから出てきた石垣にもね、お地蔵さんが無造作に突っ込んであったりとかね、石仏が突っ込んである。そういうことがあるわけで、現代人から見たら、ウワーって思うようなことが、こうして現実に歴史の跡には残っていくのですね。

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