ここでは鬼貫と伊丹風俳諧という話をさせていただきますが、まずその前に、柿衞文庫のご紹介をさせていただきます。
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柿衞文庫は、一万点に近い俳諧・俳句に関する資料、いわゆる俳人の真跡資料や俳書類を収蔵しており、日本の三大俳諧コレクションの一つと評価を受けております。その一つは、東大図書館に入っております洒竹・竹冷文庫(しゃちく・ちくれんぶんこ)、もう一つは、天理大学付属図書館の綿屋文庫(わたやぶんこ)ですが、両者とも大学の図書館ですので、学生や研究者の閲覧が中心になります。その点柿衞文庫は、一般公開された資料館として、特別展・企画展を通じて、どなたでも気楽に俳諧資料を見学していただけます。俳書類は、すべてマイクロ化されており、図書室で閲覧研究をしていただけます。
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主な所蔵品を紹介いたしますと、芭蕉の代表作としてよく知られるのが『奥の細道』ですが、芭蕉が自らの草稿を、当時の能筆家の素龍に清書を依頼しました。その、素龍の筆による『奥の細道』の原本を所蔵しております。最近、長い間所在不明とされていた芭蕉自筆の『奥の細道』草稿本が発見されたということで、非常に話題になりました。それから、芭蕉の代表句「古池や蛙飛込水の音」の自筆短冊も代表的な収蔵資料といえます。芭蕉ほか、蕪村の手紙類、本日のテーマであります鬼貫の作品、また、近代俳句の生みの親、正岡子規にいたりますまで、わが国の俳諧文芸の歴史四百年の流れを、館蔵品の俳人直筆作品や俳書によって辿っていただけます。昭和五十九年にオープンして今に至ります。柿衞文庫のコレクションは、小西酒造さんと同じように、伊丹の代々酒造家でありました岡田家に伝わりました資料が元になり、加えて二十二代当主岡田利兵衞、雅号柿衞(かきもり)が、俳文学者として、精力的に収集しました学術研究資料としての俳人真跡資料・俳書類によって成り立っております。
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伊丹俳壇について話させていただきますが、岡田家の歴史イコール伊丹俳壇の歴史というほど関わりが深いことですから、岡田家について少しお話させていただきます。岡田家は当初米問屋でしたが、享保二年(一七一七)に酒造業を始めています。当時の当主は七代目岡田酒人(さかんど)で、本日のテーマであります鬼貫と親交のあった方です。俳諧は、鬼貫と同じく也雲軒の池田宗旦に学びました。鬼貫から酒人にあてた手紙三通や懐紙が今に伝わっています。時代が下がりまして、十六代目岡田著斎は、大坂懐徳堂中井履軒に入門して漢詩を学び、師履軒の著書『七経孟子逢原』を書写した三十冊の本が文庫に入っております。また十九代目の糠人(ぬかんど)は幕末期に活躍した人ですが、柿園という別号をもっていました。
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この号は、柿衞文庫のシンボルとなっております柿の珍種台柿が岡田家の庭にあったのですが、これにちなんだ号です。糠人が当主の時代、高名な漢詩人頼山陽が、伊丹酒にひかれてしばしば伊丹を訪れていました。そして、当時の酒家の旦那衆とはかなり親交があったようです。小西酒造の「酒は富士白雪」という商標看板がございますが、あれは山陽の筆によるものです。酒のお礼に書を一筆書いて残したのでしょう。酒代としての山陽の書はかなり伊丹に残っております。文政十二年(一八二九)十月二十二日、母梅を伴って箕面の紅葉狩りの帰りに伊丹に寄り、いつもながら伊丹酒を楽しみました。その酒宴の席のデザートとして出されたのが、糠人(柿園)宅の台柿でした。その大振りのとろけるような熟し柿は、酒の酔い醒ましに打ってつけでした。美味しさに感動した頼山陽は、岡田家の台柿を愛でる漢詩を賦し、同行の画家田能村竹田が台柿の絵を添えています。それが、柿衞文庫の名品「柿記」として残っています。
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