第六章 鬼貫と伊丹風俳諧
〜伊丹の文芸活動〜
瀬川 照子

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 比較文学の面から言いますと、江戸のこの鎖国時代ですね、この時代は封建制ばかりが強調されていますけれども、海外において、そういう知的な笑いが非常に稀な時代において、日本はとても平和でしたので、お酒が充分に醗酵し、ふくいくとする香りを醸しだすような豊かな笑いとかユーモアが、これは狭い世界でしたけれども、非常にその豊かなものがね、特に伊丹の地はそうですけれども、庶民の暮らしの中で育っていた、ということなんです。そういう豊かな人たちが、伊丹の文芸を支えておりまして、その延長線に柿衞文庫がございまして、こういうような、この講座ですね、それも延長線上にあるのではないかと思います。ちょうどこの辺りが、也雲軒があった処といっていい場所ですし、伊丹の町は江戸時代から面々と文化に関心の高かった土地柄であったということを、申させていただきます。

 本日の話はこれで結びにしたいと思いますが、今日紹介しました資料について、原本作品のスライドを用意させていただいておりますので、それをご紹介させていただきます。私、原本資料にあたります時、常に思うのですが、この紙の文化である日本の資料はいくたびかの戦火をくぐり抜けて、この紙に書かれた発句とか、軸物が大事にされて、この地に残っているということは、酒家の旦那衆をはじめ、多くの人々がいかに文化を愛して、大事にその資料をなさってきたかということを、しみじみ感じつつこの資料を、次の世代に、伊丹に永遠に残さないといけないと思っているのです。いま展示しておりますので、文庫に立ち寄っていただければ実際に見ていただけますので、その方が手っとり早いとは思いますけれども、十点ほどスライドを用意しましたので、見ていただきたいと思います。

 写真(1)は先程一番最初に説明させていただきましたね。頼山陽が、岡田家の台柿を愛でて詩を書き、田能村竹田が柿の絵を描きました「柿記」です。富有柿のような大きな柿がなるんですが、渋柿なんです。これは中国産の柿でターモンバンという種類なんですけど、種がないので江戸時代にこの伊丹の地にあったということが非常に珍しくて、植物学者の牧野富太郎博士が、この柿が古くから伊丹の地にあるということを、驚いて一筆書いていらっしゃいます。熟し柿になりますと渋がきれいに抜けますので、それをすするようにして頂くと非常に甘くておいしいです。秋には柿衞文庫の中庭で実を結びます。

 写真(2)、これも台柿ですね。高橋草坪という画家が描きました頼山陽遺愛の柿です。この山陽が愛した柿となりますと、山陽は当時漢詩人としても非常に慕われておりましたので、いろんな方が岡田家に訪れまして、この山陽が愛した柿を、書画に書いて残しておられます。

 写真(3)。松尾芭蕉の「ふる池や蛙飛込水のおと」の短冊です。ここに「はせを」と書いております。これで芭蕉と読ませます。短冊の場合は漢字であまり書かずにひらがなで落款します。あらたまった懐紙などの作品になりますと、関防印と、それから落款の印を押しましてね、漢字で芭蕉と自筆落款します。また芭蕉桃青とか、風羅坊芭蕉とか長く書くときは作品の依頼者に敬意を表して、丁寧に作品を仕上げているわけです。短冊の場合は、「はせを」とひらがなで落款した作品が主になります。古池やの「や」は芭蕉の書き癖の特徴が、よく出ています。「也」という漢字からきてるんですけども、ちょっと長くしないで、「也」という字からきた短い「や」、これは芭蕉の書き癖です。この句は人々に知られた作品ですので数本伝わっているそうですけども、その中で、真筆と言われるのは、二、三本ですね。有名句ですから偽書も多いのです。柿衞文庫のコレクターの岡田利兵衛が『芭蕉の筆蹟』という本を書きまして、芭蕉の筆蹟を学問的に分析いたしまして、文部大臣賞を得ておりますが、芭蕉の筆蹟鑑定の第一人者と言われております。

 写真(4)は俳仙群会図という作品です。蕪村が書いたんですけれど、蕪村が尊敬する十四人の俳人の肖像画を描いておりますが、その中に鬼貫がおります。横を向いていて刀をさしている人物です。芭蕉を中心にし、門人の其角・嵐雪がおります。いろんな俳人がいるんですが、鬼貫だけ、ポンと横におります。全然弟子をもっていなくて孤高の俳人なんですけど、蕪村が『鬼貫句撰』という本を出版して、鬼貫を世に紹介しております。弟子がありませんでしたので、没後ほとんど忘れ去られていたんですけども、蕪村は鬼貫を高く評価しまして、蕪村の俳諧仲間の太祇とともに二人で、世に鬼貫の句を紹介しております。鬼貫像とほとんど今この蕪村が書きましたものが使われています。

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