「桜咲頃鳥足二本馬四本」この句も、よく人々にどういう意味の句ですかと聞かれます。このままなんですよ。これね海外で、鬼貫の奇跡の句として紹介されてるんですよ。英語でいいますと「イン チェリーブロッサム タイム バーズ ハブ トゥー レッグス ホースイズ
フォー」、これがね奇跡と紹介されているんですよ。鑑賞の仕方にもよるのですけれども。桜が咲く頃、この桜が本当にその日本中、桜で満開になるこの美しい桜に感動して、自然の営みというもの、自然の創造主神様というのは本当に素晴らしいと。こんなに美しい桜を私たちに見せてくれるっていうふうに感動すると、その感動の心で鳥を見るとね、鳥の足が二本あるのも納得ができる。まあ、神様はよく作っておられます。鳥が四本足があったら木に止まれません。それから馬が四本足があるということすら、馬は胴が長いですから、二本では立てませんからね。四本あるということすら、本当に大自然というのはうまくできているなあっていうふうに鬼貫は感動したんだと思うんですよ。ですから、この句が海外で鬼貫の句として紹介されているのに、私はもうびっくりしたんですけれども、桜咲此鳥足二本馬四本、そう言われれば、この句わかりますね。技巧のないそのままなんですよ。
|
それから、「面白さ急には見えぬ薄哉」の意味ですけれどね。鬼貫の著書『独ごと』に薄という項がありまして、それをみますと、「薄ハ色々の花もてる草の中にひとり立ちてかたちつくろハずかしこからず、心なき人にハ風情を隠し心あらん人にハ風情を顕ハす、只その人の程々に見ゆるなるべし」と書いてあります。薄という草花は、美しい花をもっているわけではないので、眼を引くような草花でもないです。ですから、ひっそりと装いもしないで、あまり目立たず立っております。利口ぶるような、人目を引くような花でもない。ですから、心のない人、結局まことのない人には、風情を隠して薄のおもしろさは見えないけれども、心あらん人、まことの心をもってい人には、風情を顕す。ですから、その人の心の深さによって、その面白さと言うものを、薄は見せてくれますというのが、薄に対する鬼貫の思いなんです。これが、鬼貫のまことの俳諧をそのまま表現しております。まことをもった人には、薄も自分のまことをもって、その自分の風情を顕してくれるというような意味になります。これが鬼貫の代表句ですね。今、よく「にょっぽりと秋の空なる富士の山」とか、「行水の捨て所なき虫の声」などがよく言われますけれども、当時は鬼貫の代表句としてこの句が知られていたようです。ちょうど芭蕉の「古池や蛙飛び込む水のおと」にあたるのが、この鬼貫の「面白さ急には見えぬ薄哉」という句だと思います。
|
この鬼貫のまことということを念頭に置きましてね、このほかの鬼貫の句というのを鑑賞してみたいと思います。鬼貫は、一生涯に九百位の句を残しております。「仏兄七久留万」という本に自分の生涯の句を書き残しております。その中から私が心に留まった句を少しばかりピックアップしました。
|
「進みけり白柄の切貝風呂吹の兵」、これは二十歳までの句ですから、伊丹風俳諧を作っていた頃の句です。これは膳の上の料理を詠んでるんですよ。白あえの切貝なんですよ。風呂吹の兵というのはお大根のことなんですよ。だから当時の流行語をそのまま使ったり、もじった言葉を使っておりますし、着想が奇抜ですから三百五十年たった私たちには、本当に理解に苦しみます。膳に出された御馳走の白あえの切貝に、それから風呂吹き大根がきましたという句です。こういう句を詠んでいたわけですよ、伊丹風の若い頃はね。
|
「俄のみ悪所とかめむ若煙草」、これも二十歳の頃ですから、伊丹風の俳諧です。これ悪所というのは、遊廓のことですから、若煙草、若者が、ちょっと格好付けて、遊廓でのみ慣れてない煙草をふかしている、ということ。今年とれた煙草とを掛け合わせたものです。
|
| 【次のページへ】 |