|
|
一、伊丹に藩領があった大名のはなし
私は、会社を定年退職してから老化防止ということで近郷を歩きまわり、歩かないときは、手当たり次第に地域に関係する歴史書を読みあさっています。私はかねて土地柄「西国街道」に関心をもっていました。
ご承知のようにこの街道は、伊丹の町を凡そ東西に貫通しています。私はこの街道の雰囲気がたいへん好きですので、京都から西宮・兵庫あたりまで何回か繰り返し歩きました。また、歩きながら目にふれる風景や構築物、あるいはつまずく路傍の石にさえも歴史を感じ、ますますわが住む町の歴史に興味をもつようになりました。
こんにちまで約八年ほどの間、地域の歴史を勉強してまいりましたが、一口に歴史といいましても古代から近世までたいへんです。見境いなく私は好奇心が旺盛ですから、目に触れるもの聞くもの何でもかんでも、興味をもち見て歩き、聞いて歩いています。とくに西国街道を歩いていますと、そのつもりでないと見過ごしてしまいますが、よく観察して歩きますとなかなか興味ある風物に接します。
|
今日、白雪さんから頂戴しています演題は、伊丹の町に関わる歴史の話をということですので、さぁ困りましたが、皆さんのお手元にお届けしましたのは、伊丹の地域には、近世から幕藩体制が成立して明治維新の廃藩まで、幕府・大名・公家・旗本などの領地があってそれぞれの領主がいましたそのなかで、伊丹の大鹿・北村の領主だった青木氏についての話題提供をさせていただきます。
幕藩体制の時代、大阪を中心とする地域は、江戸幕府が非常に重要視した地域ですから、大藩は配置せず、主に大阪城を守るために、譜代大名か旗本家など少数の小身の大名などを細かく配置していました。
幕末期の大坂城周辺の大名配置は、
摂津国に尼崎藩(桜井氏譜代四万石)、高槻藩(永井氏譜代三万六千石)、三田藩(九鬼氏外様三万六千石)、麻田藩(青木氏外様一万石)、河内国に狭山藩(北条氏譜代一万石)、丹南藩(高木氏譜代一万石)、和泉国に岸和田藩(岡部氏譜代五万三千石)、伯太藩(渡邊氏譜代五万三千石)などで、摂河泉三国で八家の内譜代が六藩、外様は三田と麻田の二藩のみでした。
|
| 【次のページへ】 |
|