第七章 ミニ戦国大名 青木氏
〜伊丹に所領があった大名〜
麻田 茂

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資料1  
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資料3  
資料4  
資料5  
資料6  
資料7  
資料8  
資料9  
資料10  
資料11  
資料12  
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 六、強運の主将を選ぶのも武者の心得
 戦国乱世において立身出世を夢見た若者でも、よほど運がよくないと一国一城主にはなれるものではありません。この一重には三人の弟がいました。四人の兄弟のうち運よく生き長らえて、ひとかどの家名をあげたのは一重と末弟の可直でした。いちばん下の弟の青木可直という人物は、はじめ池田輝政に仕え各地に転戦して、天正年間荒木村重の乱には、村重配下の兵庫花熊城の攻略戦に参加しています。後に家康に仕えて徳川幕府の旗本となり、長男に兄の家を継がせて二代麻田藩主として、兄一重から譲られた二千石を合わせて、江戸時代を通じ祿高五千石で明治維新を迎えます。
 この旗本青木氏の所領は出身地の岐阜県美濃と、大阪府箕面市牧落、桜井あたりにありました。この箕面の領地は、一重の実父青木加賀右衛門が秀吉の家臣であったときの領地で、父が亡くなり後一重が引き継いでいたものを、大坂の陣のあと一重が弟に分知したものです。弟の可重は家康家臣で三千石をもらっていたのですが、この二千石を分知してもらって五千石となります。

 一重の弟で末弟の可直以外の二人の弟はいずれも討ち死にしています。長くなりますので簡単にそのあたりのお話をしておきますと、一重のすぐ下の弟さんは重経といいまして、家康の家来でした。元亀三年(一六七二)家康が武田信玄と遠江三方原で戦ったときに討ち死にしています。この戦いは家康はたいへんな戦いでして、家康が信玄に追われて浜松城に逃げますが、その時に重経は武田勢を迎えて討ち死にしています。だから家康は記憶があるわけです。次の弟直継は、天正六年(一五七八)、秀吉が播磨国の三木に別所長治を攻めたとき討ち死にしています。だから青木親子兄弟はそれぞれに、斎藤、今川、織田、豊臣、徳川、池田、丹羽と渡り歩いて、最後は豊臣から徳川にと、後々までうまく家名を残しています。当時の武者はいろいろと工夫をして家名を残していますね。一重と同じ時代、大坂の陣で活躍した真田幸村なども、兄弟がそれぞれ豊臣方と徳川方に別れて、一族の内の誰かが残るように配慮しています。

 さて、肝心の青木氏の伊丹における領地に関わる話に入らなければなりませんが、この辺で伊丹の話をさせていただきます。資料の地図(2)をご覧ください。現在の伊丹市域の中心部の旧伊丹郷町の北に接する旧北村と大鹿村の両村は、当時なかなかの豪村でした。この二つの村は江戸期を通じて明治維新まで麻田藩領でした。
 はじめに述べましたとおり、昔はたいへん重要な幹線道路であった西国街道が、北村と大鹿両村を南北に貫いています。資料をご覧いただきますとおわかりと思いますが、伊丹から東へ猪名川を渡って池田市の南、豊中市の北端をかすめて箕面市に入ります。この間のかなり地域が青木氏の藩地で、先に旗本青木氏に触れましたが、現在の箕面市西小路、桜井、牧落辺りは同氏の支配地です。当時の高祿の旗本は領地に代官を置いていたようですが、たまたま兄貴の麻田藩領に接続しているので、領地の管理などは麻田藩で面倒を見ていたようです。

 もちろん旗本青木氏の役所は、現在の箕面市箕面、旧平野村にありました。
 麻田藩青木氏の所領のうち伊丹、池田、豊中にまたがる地域のほか、奥川辺(現在の三田市)にも藩領がありました。それは三田市の東部を流れる羽束川と、その東の猪名川との間の地域、川辺郡のうちの、資料の地図(1)に黒丸印の十五ケ村と、菱形印をつけた村の上佐曽利、下佐曽利、林田、笹部と現在の池田市上止々呂美の各村も藩領でした。さらに備前(現岡山県)にも飛び地の藩領もありました。


 寛文二年(一六六二)に、幕府は多田銀鉱地域を天領にしました。青木氏には替地として伊丹の北村(鋳物師を含む)と大鹿を貰います。五ケ村と二ケ村との交換です。五ケ村と二ケ村との交換ですから差し引き、三ケ村足りませんが石高は同じでした。北村と大鹿はたいへん生産性の高い村だったのですね。ところが米の生産高は同じですが、幕府に召し上げ取られた奥川辺の村々には銀が産出したのですから、損失はたいへんです。だが、替え地として貰った口川辺(当時はこのように言いました)の北村と大鹿は良質の米を産出して、しかも今日この講座を主催されています小西酒造本拠地の伊丹郷町に隣接していますから、麻田藩は北村と大鹿の産米を酒醸造に提供する地の利がありました。従って北村と大鹿を領有することによって、江戸時代を通じて、青木氏は伊丹近郷の酒造家とはたいへん密接な関係ができます。小西家をはじめとして、伊丹の酒造家などおおいに藩の財政が助けられています。要するに大名貸しなどがそれです。踏み倒しなどもあったのでは?。今日ご出席の青木さんごめんなさいね。

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