第七章 ミニ戦国大名 青木氏
〜伊丹に所領があった大名〜
麻田 茂

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資料7  
資料8  
資料9  
資料10  
資料11  
資料12  
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 七、富士山に霞かすみの家紋(青木富士)
 資料の、江戸時代天保期の武鑑の青木氏の部分を見てください。青木氏の家紋が富士山に霞です。「青木富士」といいました。小西酒造さんのは「酒は白雪・山は富士」でしたね。実は青木氏の家紋は富士山なのです。江戸期の大名は約二八〇家ありますが、富士山を家紋に使用しているのは青木家(麻田藩)だけですね。他に三つ須浜の紋も使っています。陣屋のあった場所には何も残っていませんが各所に散らばった遺構の一つに、現在豊中市内の報恩寺には廃藩後に移設された陣屋の建物がありましてその玄関の蛙股に富士山の透彫刻が残されています。今申しましたように麻田藩の遺構はほとんど残っていませんが、幸い数は少ないですが豊中市内には各地に陣屋や有力家臣の屋敷などが移築されて残されています。

 また、大坂城に行かれることがありましたら、天守閣にある展示品「大坂夏の陣」の屏風をご覧ください。これは戦国時代の合戦絵巻で、俗に「黒田屏風」ともいわれている非常に有名な物です。左右二双に別れていまして、右から左のほうへ大坂方を攻撃する徳川武将の軍勢が描かれ、四天王寺茶臼山の家康本陣、岡山(現天王寺勝山町)の秀忠本陣なども克明に描かれています。

 ほぼ中央で両軍が激しく戦っている場面となり、さらに左方に天守閣、そして敗走する武者それを追う者、さらに堀に落ちる城方の武者や女房たちなども描かれています。
 天守閣の下方やや右中央部に、赤い旗印軍勢の中程中央に、金暖簾のれんと金箔瓢箪ひょうたんの馬印のあるのは、豊臣秀頼本陣です。その下方に紺色の旗印五本に「噴火する富士山」が描いてあるのが青木勢の集団です。ぜひ大坂城に行かれる機会がありましたらご覧ください。とくに大坂城が平成の大修理をされたのを機会に、この「大坂夏の陣」屏風は目玉展示品となっています。また信長や秀吉着用の陣羽織なども展示されていますが、私は、秀吉着用の陣羽織は黒ラシャに黄色の噴火する富士山が描かれているのに興味をもって、当時の武将に「噴火する富士山」の絵柄を使用した可能性のある人物を調査してみました結果、その特異な図柄は青木一重以外にないと確信して、大坂城博物館の渡辺館長に、何十項目かの資料説明をつけて意見を述べておきました。


大坂夏の陣図屏風 部分
大阪城天守閣蔵
 館長は京都の古物商から購入したもので使用した人物はわからないが、「噴火する富士山」の絵柄は珍しく、この陣羽織を使用した可能性のある人物は青木一重も当然考えられるので検討してみますという返事がありました。その後検討の結果、伝青木一重が着用と表示します、ということでしたが、平成の大修理後見てみますと「秀吉着用の陣羽織」と表示されていました。渡辺館長に確かめましたが「ああそうでしたか」で終わりでした。
 どうも「伝青木一重の着用」では駄目なようです。知名度では秀吉の方が断然有利ですからね。もしかして一重が秀吉に所望されて献上したかも?。
 いずれにしても「噴火する富士山」の絵柄の陣羽織は珍しいものですから、「大坂夏の陣」屏風とともに見てください。


富士御神火文黒黄羅紗陣羽織
一領 大阪城天守閣蔵(伝・青木 一重 所用)
丈 97.9 裄 27.2 襟幅 7.9cm

 一重は、戦いに明け暮れてようやく平和を得たのに、冬の陣で生涯最後の戦いに参加しています。最もこの戦いが戦国の締めくくりの戦いです。一重は大坂城の二ノ丸追手門升形と、三ノ丸本町橋の二方面の守将を務めましたが、ほどなく鴫野口(京橋付近)・天満、天神付近の戦いに応援、また城南方面の真田幸村が守る真田出丸の激戦にも勇ましく戦っています。
 だのに一重はなぜ大坂夏の戦いに参加しなかったのか。一重は、大坂冬の陣が一応和睦と決まり、大坂方の和議謝礼使として駿府城の家康に会見しています。その帰路、京都で家康の内命を受けた所司代板倉伊賀守勝重のため、京都で拘禁されます。そのため一重は大坂城に入ることができず、間もなく戦いが始まり、主を欠いた青木勢を率いて養子正重が大坂に入城して戦い、大坂方は敗戦します。


 それを幽閉先の京都で聞いた一重は、頭を丸めて「宗佐」と名乗り隠居しましたが、家康に二条城に呼び出されて、従来の所領を安堵されて、旧主家康配下の大名として存続することになります。
 世の中が安定してまもなく、先程申し上げました一重は、末弟可直が徳川家の旗本でおりますがその子を貰いうけて二代藩主に据え、弟可直に一重が父の遺領分二千石を分知しています。要するに二千石を徳川家に返上したようなもんですね。これで末弟可直は、徳川幕府の五千石の旗本として幕末まで存続します。
 また後の話になりますが、二代藩主重兼に子がなく、徳川家の重臣で幕府大老酒井忠勝の外孫を迎えて三代藩主にしています。このあたりは、旧豊臣系外様の小大名が生き残るための苦心の作戦なのでしょう。


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