小西 『少年H』をよませていただきました。『少年H』が体験した世界がこのような形で本になったことで、子供たちと戦後生まれの父親との間で本を通 して話し合える。そんなことが、今回河童さんがお書きになった意味の一つだなと、思ったんですが…。

河童 そうなんです。今の時代は文化の伝承ということで言うならば、伝えるすべが無数にあって、何をどんな表現で伝えてもいいし、だからこそ、伝え方の工夫をしなくちゃいけないように思うんです。今はもう『少年H』の生きた時代、強制的に閉ざされた時代とは違うんですからね。考えてみるとわれわれの前の世代の先祖たちは、結構すごい文化を持っていたわけです。古い物でも読む力を多少はもっている我々世代には、なんとか手を伸ばせばとどくところにあるわけですが、次の世代の人はもう無理ですよね。 若い人でも古い文献を読み解けない人たちに、不勉強だと叱ったり、勉強を強要するわけにはいかない。じゃ、どうすればいいのかというと、我々が翻訳してあげないといけないと思うんです。たとえばダイジェストにしてでも。結果 的にその精神が伝わるっていうことは、すごく大事なことだと思うんですね。昔の文献にしても名作にしても、次の世代っていうのはビジュアルなもの、それから聴覚的なものからの吸収が多いんじゃないでしょうか。僕たちが今、考えなければいけないのは、どうしたら伝わるかということ。伝えるのは精神で、精神が伝わればいいんですよ。

小西 阪神大震災で、私共も本拠が伊丹ですから相当影響を受けました。そのときにつくづく思ったのは、私はぼんやりしているほうだから今まで私共の持つ歴史、伝統っていう重みは日常では感じて来なかったのですがあのときだけは、いつも皆さんからよく言われる創業450年の歴史、やっぱり450年も続いてきたっていうのは、たいへんなことなんだと思ったんです。

河童 事実たいへんなことですよ。

小西 じゃ、歴史、伝統って一体なんなのか?もしそうなら壊れたらもう終わり、でもそれだけじゃないはずだ、しかし建物がなくなったら心の支えっていうものがなくなってるような気がする…。 頭の中では、大切なのは建物とは違う、今おっしゃった精神だと、私自身もそう理解してきたはずだと思うんですがね。じゃ、あの400年近く建つ蔵がなくなったらどうなるんだろうなと言う部分が、自分自身でイメージできなかったんです。そこら辺に葛藤っていうか…。 今、河童さんがおっしゃったように絶対形だけじゃないはずだ、心を継承すれば歴史、伝統っていうのは繋がるんだと、気持ちでは思っていても実際は、う〜んと思う…。 そこら辺が今でもなかなか整理がつかないけれど。本当におっしゃるように、精神というもののほうがずっと大事だと感じてはいるんですけど、ちょっと複雑な感じが…。

河童 酒屋さんていう存在を歴史的に見れば、だいたい旦那さんですよね。ある意味では文化のスポンサーだった。私は小西さんがお持ちだった「やっかい長家」っていうのに興味をもっていたんです。 名前からしてすごくおもしろいと。酒蔵の側に建っていて、さまざまな文化や武人が世話になっている。気むずかしい人たちが逗留されたんで、おせわをするのも、さぞやっかいだったんでしょうね。(笑)宮本武蔵も泊まっていけば、井原西鶴に松尾芭蕉、近松門左衛門といった文人、武人だとか本当にいろんな人たちを次々とお世話なさっている。僕が特に興味を持ったのは、それらの人達が世話になっていた時代から、ずっと後の明治維新後のことなんです。 明治8年ですか、9年ですかに刀をもっちゃいけないとなってしまう。廃刀令ですね。それまでは、剣の道を追い求める剣豪たちもやっかい長家でお世話してきた。ところが明治維新で剣の道がだめになった。それで食べていた人、名誉ある地位 をもっていた人たちがあぶれてしまった。もう剣道なんてそっぽを向かれた時代に、「やっかい長屋」はそういう人たちを迎えいれつづけている。私は、それがすごくおもしろいと思うんです。

小西 やっぱり、甲斐性があったっていうことなのでしょうか…。そういう人々を受け入れられたっていうのは。

河童 そうそうそう。そのことの意味は、剣道をどうのこうのというのではなく放っとけば跡絶えてしまうひとつの文化というものを、ここで朽ち果 てさせてはいけないと思われたんですね。あの一番むずかしい時代になんとかして残そうと思われたことはスゴイですよ。 事実、後に剣道も復活するわけですからね。そんな「やっかい長屋」の精神っていうのがすごくおもしろいと思うんです。ところが、文化を育て支えてきた「やっかい長屋」が、今回の阪神大震災でなくなってしまった。実に残念です。でも、ここで考えなくてはならないのは、あの建物をもういっぺんあの形で再現したって意味がないと思うんですよ。なにが大事かというとね、それは建物そのものではなくて、あの建物がもっていた精神ですよね。精神というのは無形のものです。とすると、風化させないためには、次の世代に渡さなきゃいけない。でも、精神を渡すことは、すごくむずかしいわけですね。

小西 そう。そこなんです。「やっかい長屋」の存在をよくご理解いただけている。

河童 そこで「やっかい長屋」の精神を伝承する新しい時代を迎えたと思うんです。ヨーロッパの博物館は、過去を今にどう伝えるかという努力をすごくしてい ますよね。 それは、昔のものをどのように翻訳するかにかかっています。 新太郎さんの会社は文化情報の発信を今インターネットでしておられますね。それは、現代の「やっかい長屋」の一つのありようだと思う。僕も大賛成です。でもネインターネットっていうのは、ひとつの伝達の方法であって、伝達の方法を信じすぎちゃいけないと思うんです。今の世の中伝達の方法はすごくあって、あふれ過ぎていますから。それよりも相手にどう伝わるかってことがすごく大事なんですよね。

小西 どうして今の時期に、ああいう戦前、戦中の本を書かれたのかぜひおうかがいしたいと思っていたんです。

河童 実は、ずっと前から、いずれ書かなくてはいけないと思ってたんですが、いざ書くとなると大変だから逃げたかったんです。でも、僕はもう67歳ですからね。 3年先とか5年先とかを考えるとこのままの自分でいると考えるのはおこがましいと思いはじめたんです。若い人でも「え〜っ彼が死んだの」っていなくなるんですから。 時代の風化風化って気にしていながら、僕自身がいなくなったら風化もなにもないんだから。で、決心して書くことにしました。違和感や疑問だけじゃなく、ひどいこと言われて、ものすごく腹が立ったこととか、自分が理不尽な目にあったこととか、覚えていますよね。 じゃあなぜ今まで「あの時代」のことを書かなかったかというとね、思い出すのがいやだったんです。といって、いやなことばっかりじゃなかったですよ。 『少年H』をお読みになればわかるように、結構面白いことがありましたけどね。ところがひとつ思い出すと、まるで芋づるを引っぱったように、次々と嫌なことも思いだす。それが辛くてね。で、当時の記憶に蓋をしてしまったんです。完全密封の冷凍保存の状態で一度も蓋を開けなかったので、記憶の鮮度がよかったんですね。だから、その記憶を全部書くことにしました。少年の頃、見たこと、聞いたこと、感じたことをね。

小西 私はもう、河童さんのことですから、てっきりメモがあってこうなったのかなって。なるほど、そういう形で、思い出されたんですか。

河童 時代は渡さないといけない。あんな『狂気の時代』があったことが、実は今の時代につながっているんですから、なんとかして、かつて我々の先達が生きた時代にまで遡って、今の人々にも伝えなければならない。 昭和の時代だけじゃなく、幕末の頃から明治、大正、昭和と続く、今日までね。このことは、実は「やっかい長屋」とも関係がありますね。「やっかい長屋」の時代のことや、その存在の意味などを、次の世代に、伝えないといけないんですね。「やっかい長屋」の精神を、新太郎さんが新たに立て直さなければなりませんね。でないと、貴重な遺産が、二十一世紀に向かってつながらなくなりますから…。

小西 はい。本当にすごく感じているんですけど、なかなか甲斐性がありませんので…。(笑)

河童 伝えなければならないのは当時を再現して建てて「こんな建物があった」ということじゃなく、要は中身であり、精神だと思うんです。 沢山残されている文献や古文書を展示するのも必要でしょうが、それが展示だけに終わらず、どう伝わるかですよね。

小西 その通りです。過去の再現や保存だとは思っていません。

河童 でないと、「やっかい長屋」は、小西酒造にとって、本当の「やっかい長屋」になってしまう。(笑)だから、ジョークっぽく「やっかい長屋」といいながら、本当に今必要とする文化を育てることをやって欲しいですね。 伝えなければならないのは、何も茶道の袱紗の使い方じゃない。これから先、何をやっていくか。「やっかい長屋」の精神をどう将来に生かしていくかでしょう。


 このページの最初に戻る
1998年/伊丹「長寿蔵」にて
妹尾河童(せのお かっぱ)舞台美術家、エッセイスト
小西新太郎(こにし しんたろう)小西酒造(株)代表取締役社長



FujiyamaNET は「山は富士、酒は白雪」でおなじみの
小西酒造株式会社が運営しております。

FujiyamaNETに関するご意見・お問合せ:fujiyama@konishi.co.jp
Copyright(c) 1996-2009 konishi Brewing co.,Ltd.