聞き書き剣道史

伊丹「修武館」二百年の歴史をいまだに維持する話

小西酒造(株)会長 小西新右衞門夫人 故 小西静子 前薙刀連盟会長談

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○肚の業茂と技の業精 二刀の由来がついにわからない事

業精の代になりましてから、修武館の稽古は剣道と薙刀だけになったようです。ええ、わたくしは大正7年(1918)に生まれていますが、もの心つきましたときからもう道場では柔道をやっておりませんでした。業精はそれでも心得はあったようで、わたくしが子どもの頃に乗馬をやりたいと申しましたら、「それではまず落馬の練習から始めなければならない」と(笑)、柔道でいう受け身の稽古ばかり道場でさせられた思い出があります。

もっとも昔のひとは、柔道もやれば剣道もやる、剣道もやれば水泳もやる……といったふうで、武芸十八般とはいかないまでも、いろいろとたしなみがあったのでしょうね。先だってはお話しするのを忘れておりましたが、業茂の時代、田辺又右衛門(註8)という柔道の先生か修武館の師範をなさっておられました。有名なかたです。たまたま「明治三拾四年一月四日修武館初會式」という案内状が出てまいりましたのでそれを眺めておりましたら、柔術の田辺又右衛門先生が撃剣試合に、撃剣の富山可誠先生が柔術乱取りに、それぞれ両方に出場なさっています。柔道家だから柔道だけ、剣道家だから剣道だけというのではないのですね、古い先生がたは。そのことで申しますならば、業茂はもちろんですけれども、業精も薙刀を良く遣いました。さあ、業精は顕教先生にお稽古をお願いしたものか、千代先生にお稽古をお願いしたものか。たぶん顕教先生ではないかと思われます。

といいますのも、わたくしが知るかぎりでは修武館で、ご婦人をふくめまして一般のかたが薙刀を稽古なさるのを拝見したことがありません。ええ、業茂の時代には一般のかたも……とくにこ婦人が薙刀の稽古に励んだと聞いておりますが、業精の時代には修武館で薙刀を教授したと申しましても、美田村千代先生が伊丹にありました裁縫学校の生徒さんたちを指導なさるということで……ええそうです、裁縫学校に道場がありませんので修武館で稽古をしたのですね。千代先生の授業の当日は、たぶん学年別だったのでしょうが、一時間おきに交代で生徒さんたちが見えておりました。

富山圓先生が修武館にお帰りになられたのは、さきほど申し上げましたように大正11年(1922)頃と聞いておりますけれども、そのお稽古がどういうものだったかは、わたくしは存じません。松本(敏夫)先生におうかがいすれば教えてくださると思いますけれども(註9)。そうですってねぇ、松本先生は富山圓先生から直心影流の「免許」を頂戴なさっていらっしゃるそうですねぇ。

十一考(十一代)の業茂は骨格のがっしりしたひとだったそうで、太くて短い竹刀、肚(はら)のお稽古だったと聞いておりますが、十二考(十二代)の業精はすらりとした体格で、上のひとには二刀でお稽古をお願いし、下のひとには一刀で遣っておりました。軽妙機敏といった表現でよろしいんじゃないかと思います。技のお稽古ですね。のちに美田村邦彦先生がわたくしに「おじいさまとお父さまの稽古はなにからなにまで対照的だなァ」とおっしゃったことがありますが、そのとおりらしいですね。修武館ではなにか行事かありますと、きまって業茂と業精、それぞれ生前に愛用しておりました道具と竹刀を神前に飾るならわしになっておりますけれども、これらの道具や竹刀を見ましても、二人のからだつきの違い、お稽古の違いがわかります。

ところで真貝忠篤先生に師事したわたくしの父が二刀をどなたから教授していただいたかということですが、このことについてはわかりません。田宮流にはたぶん二刀はないはずで、それならば二刀を良く遣われたという岡本七太郎先生のご伝授かと思っておりましたら、さきごろ美田村武子先生がおっしゃるのに「天道流の中にも二刀があるのよ」と。あるいは顕教先生のご伝授なのかと考えてもみたりしています。


註8 田辺又右衛門は明治2年(1869)1月、岡山県長尾町に生まれている。9歳から祖父貞治について不遷流柔術を修行し、明治19年(1886)免許皆伝。のち父寅次郎にしたがって各地で柔術を教授した。明治23年(1890)警視庁柔術師範。かたわら各学校で柔術教師としてつとめた。昭和2年(1927)柔道範士。 [↑戻る]

註9 富山圓先生が修武館にお帰りになったのは、ぼくが伊丹中学の頃だなァ。稽古では三尺六寸か七寸、どっちにしても短い竹刀をぐっと構えて歩み足で腰から攻めて来られた。ところがぼくらが学校で習っているのは送り足だ。ときどき先生が首をかしげて「おまえたちおかしいねぇ。学校でどんな剣道習っているんだ。どうして右足からしか出て来んのだ。そんなのは剣道形にない」といわれた。富山先生と美田村(邦彦)先生、両師範の時代がわりあい長かったんじゃないかな。 (範士九段・松本敏夫氏談) [↑戻る]


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