ヒロシマよりこころをこめて

ヒロシマよりこころをこめて
●ヒロシマよりこころをこめて
制作年度:1965年
サイズ:410mm
「第17回現代人形美術展」入選

 私は昭和19年に、旧満州から引き揚げて、20年の春まで、広島市内の横川に1年ほど住んでおりましたから、小学校を楠木町にある大芝国民学校に通っておりました。
 その時の同級生の女の子を、戦後になってたずねたことがありました。
 私達が住んでいたあたりは、すっかり焼けて、その友達の居所もわからず、ひとづてでやっと逢えた時の様子が、いまだに忘れられません。

 8月の暑いさかりになりますと、夾竹桃の紅と純白の花が校庭に咲き乱れた様子と、その校庭のまん中に大きな柳の木と、その下で遊んだ兄とその妹、「みっちゃん」としかおぼえていないけれど、その2人に逢った時の姿が、原爆の焼け跡のように、私の目のうらに、しっかりと焼き付いているのです。

 ある日学校の先生が
 親のない子 手を上げろ
 三百余人のその中で
 みっちゃんひとり 手を上げた

 みっちゃんの兄貴の名前は、すっかり忘れてしまったけれど、その時彼は高等1年でまだ子供だったけれど、焼け跡の中から出てきた時の彼は、まるでみっちゃんのお父さんのように見えたものです。

 人形に、イデオロギーはいらない、と評価された、私の20代の頃の作品。
 それ以来、誰の目にもふれていません。


★辻村ジュサブローの人形作家としての原点ともいえる作品。
60年代に日本の経済が戦後復興から高度成長期に向かう過渡的な時期で、発表当時は色々と酷評されたりもしたようです。今でこそこうした反戦のメッセージを込めた作品に対する評価も素直にできるのでしょうが、当時は人々が忘れようとしている戦争の暗い影を思い起こされる作品だったのかもしれません。
90年代に入ってから、各所で行われるジュサブロー人形展に、人形作家としての原点の作品として必ず展示するようになりました。


back