新八犬伝、真田十勇士

「新八犬伝」伏姫
●「新八犬伝」伏姫
製作年度:1974年
オリジナル人形のかしらを額装にしたもの
「新八犬伝」道節
●「新八犬伝」道節
製作年度:1974年
「新八犬伝」額蔵
●「新八犬伝」額蔵
製作年度:1974年
「新八犬伝」小文吾
●「新八犬伝」小文吾
製作年度:1974年
「新八犬伝」玉梓
●「新八犬伝」玉梓
製作年度:1974年
「新八犬伝」役の行者
●「新八犬伝」役の行者
製作年度:1974年
「真田十勇士」夢影
●「真田十勇士」夢影
製作年度:1975年
「真田十勇士」秀家
●「真田十勇士」秀家
製作年度:1975年

 新宿の手相見はよく当てたもので、わたしが40才になった時、NHKテレビの新・八犬伝の仕事が舞い込んだのである。水を得た魚のように、自分が蘇るのを感じました。

 私はどうも、危機一髪がこないと、前に進めない運勢であるように思えます。
 いつも、はらはら、どきどきなので、刃の上に素足で立っているようでとても疲れます。
 人の書いた小説ならおもしろいのだが、自分のこととなると、たまらなくつらい運勢に思えます。

 一つだけ残念に思うのは、八犬伝が始まった時には、文楽の紋十郎師匠が亡くなっていたことです。
 生前、師弟の間柄であった頃、人形は一人使いにかぎるといっておられたのです。
 文楽も初期の近松の活きていた頃のように、一人使いに戻りたいのだと、しきりにいわれておりました。
 私が31か32の頃、思い詰めて文楽の人形師になりたいと相談を申し上げたとき、私のその思いを引き止めて、文楽の中の人にならないで、外側から文楽をみる人形師になれ、と申されました。

 八犬伝は、そんな紋十郎師匠に是非みてもらいたかったのです。かえすがえすも残念でなりません。
 このテレビの仕事のおかげで、やっと人形も売れるようになりました。


★この時期、つまり新・八犬伝の人形を制作するようになって、作品の傾向が洋から和へと移り変わって行きます。八犬伝の人形も顔に歌舞伎のメイクの手法を取り入れる、等これまでの制作手法とは明らかに違う角度の創作の仕方が見られます、この時期を境に日本の伝統文化を反映した作品や歴史上の人物を題材にした作品を次々に制作してゆきます。ある意味でその後のジュサブロー作品における、ひとつのターニングポイントであったと思われます。
その後しばらくのあいだ樋口一葉や泉鏡花等の作家に傾倒し、これを題材とする作品や人形芝居を次々と発表してゆきます。特に1979年に初演が行われた泉鏡花原作・ジュサブロー人形芝居「化鳥」は様々な場所で上演しつづけ辻村ジュサブローのライフワーク的な位置づけとなっております。


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