第十章 地名が語る伊丹の歴史
〜伊丹郷町とその周辺〜
安達 文昭

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 「地名が語る伊丹の歴史」その第一回目として今回は、旧「伊丹郷町」とその周辺の地域にあった、古い地名にスポットライトを当ててみたいと思います。
 地名というものは、全く形のないものでありますが、それは、人々によって受け継がれ、その地に深く刻み込まれてきた、かけがえのない文化遺産です。古い地名にはロマンがあり、ナゾが感じられるのも、興味深いところでしょう。
 しかしですね、いまから二十年ほど前、昭和五十年(一九七五年)ごろですが、そのころに、それまで伊丹市内に残されてきた、由緒ある旧地名(小字)は、突然、姿をかき消してしまいました。住居表示法という法律が適用されたからなんですね。これによって、全国一律に「○丁目○番○号」といった、数字地名に変更されてしまったのです。
 つまり、大字(おおあざ)はその後も受け継がれて存続しておりますが、大字の下についていた小字(こあざ)は、完全に失われ、代わりに「○丁目○番○号」という、数字で表示されるようになったわけなんですねえ。


 例えばですね、伊丹廃寺跡(国指定史跡)のある場所、そこの地名は、それまで「伊丹市北村字鋳物師(いもじ)南良蓮寺」でした。「北村」というのが大字でありまして、その下に「字鋳物師」という小字があって、さらにまだ下に「南良蓮寺」と、ずばりお寺の名前なんですね、これ。そういう地名の場所だったんですよね。この伊丹廃寺については、あとでまた詳しくお話し申し上げますが、その伊丹廃寺が国の史跡に指定されて、しばらくしたら、地名が変更になりましてね。「伊丹市北村字鋳物師南良蓮寺」だった場所が、「伊丹市緑ケ丘四丁目二十二番二十五号」と、こんな数字地名に変わってしまったのです。このような数字は、いったい、何を物語るのでしょうか。非常に残念でなりません。

 昔の地名はこのようにして、伊丹市内の場合もですね、他にもずいぶん由緒ある地名がありましたのに、すべて、消え失せてしまいました。この伊丹郷町のエリア内には、お城に関係のある、城下町だということを思い起こさせる、城郭地名もありました。あるいは、酒造りで栄えた町を彷彿とさせる職業町名、酒造関連地名もありました。しかし、それらはすべて失われてしまいました。その他にも由緒ある地名がありましたが、ことごとく歴史の裏側へ埋没してしまったと、そういう現状であります。
 今回は、そうした、まさしく歴史の生き証人ともいうべき昔の地名を、もう一度ここへ取り上げましてですね、過ぎし日の伊丹郷町およびその周辺(旧「伊丹町」)の歴史、あるいは文化について、展望してみたいと思います。

 まず、地名の話に入る前に、この伊丹郷町ですけどね、その歴史を大まかに見ておきたいと思います。伊丹郷町という場所の古い地名は、そのレジメに書いておりますように、「摂津国伊丹村」だったそうであります。その「摂津国伊丹村」と書き記された文字はですね、いまから七百年前、嘉元元年(一三〇三年)、川西市の多田神社文書に初めて出てくるといわれています。その頃もうすでに、この伊丹の地には伊丹城があったのでしょう。有岡城の前身である伊丹城があったのだと思います。と、しますとですね、「伊丹」という地名は、伊丹城の城主であった、伊丹氏の氏姓がそのまま受け継がれたものだといえそうです。

 やがて「摂津国伊丹村」はですね、伊丹氏の中世館町から、荒木氏の戦国城下町、さらには近衛氏の近世酒造産業都市(伊丹郷町)へと発展を続けてまいるわけです。で、伊丹郷町というのは、戦国武将・荒木村重の居城だった、有岡城が落城したあと、その総構えの城下町がそっくりそのまま酒造りの町に変身するという、珍しい町だったんですねえ。しかも、その造ったお酒をですね、江戸へ全部、積み出すと、そういう江戸積酒造業のメッカに変身するという、非常にこれ、社会経済史的にも極めてユニークな経歴の持ち主だと思います。

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