第三章 行基と昆陽の大池
〜行基の活動と足跡〜
藤井 直正

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資料3  
資料4  
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 今日は「行基と昆陽の大池」という、これはたいへんなテーマを掲げていただいています。行基という方につきましては、私がここで申すまでもなく、皆さんよくご承知の、奈良時代のたいへん有名なお坊さんです。伊丹のこの地域との関わりというのは、この場所からいいますと西の方ですが、バスの昆陽里行きとか、あるいは昆陽池とか、昆陽寺とか、伊丹にお住みの皆さんには、昆陽というのは非常に馴染みの深い場所であると思います。そういう意味で今日のお話は、昆陽に関わる人物として、行基という奈良時代の偉いお坊さんに登場していただくわけですが、どの程度のお話ができるかわかりませんが、お聞きをいただければ幸いです。

 実は、私自身、この行基というお坊さんにつきましては、学生時代から関心をもったというより、関わることが多くありました。私、大阪学芸大学、こんにちの大阪教育大学の出身ですけれども、現在の大阪教育大学には、ここに私、持ってまいりましたが、『行基と律令国家』という書物を吉川弘文館からお出しになった吉田靖雄先生という方がいらっしゃいます。この先生には、私、習っていないんですけれども、この先生のお師匠さんといいますか、先生にあたる先生、舟ヶ崎正孝という先生でして、今も池田に住んでいらっしゃいますけれども、やはり行基のことをずっとご研究なさった先生です。この先生は私にとっては恩師です。この先生の行基に関する講義を大学で承ったことを今も思い出すんです。そういう影響もあったのでしょうか。

 もう一つは、皆さんのなかにもご承知の方があろうかと思いますが、堺に家原寺という寺が今もあります。文殊菩薩をご本尊としているお寺で、ちょっとシーズンははずれましたけれども、中学生、高校生なんかの合格祈願、あるいは最近は一般社会人の方もいろんな資格をとるのに、この家原寺の文殊菩薩にお願いしたら、何でも合格をさせてもらえるということで、多くの方々がお参りになっています。そのお参りで有名な家原寺ですね、ここが行基のお生まれになったところです。堺にはたくさん、この行基の足跡がありますが、その中で日本にはこれしかないと土塔というものがあります。日本にはたくさんの木造の塔、あるいは石造の塔がありますが、土を盛り上げた塔というのは、そんなにあるわけではありません。ところが土塔は平面が真四角つまり正方形で、ずっと盛り上げていきますから、截頭方錐型というんですか、ピラミッドは四角錐ですが、それの上をちょんぎるわけですね。そういう塔があります。これは国の史跡になっています。

 これが実は、今、国の史跡になっていると申しましたが、ちょうど私が学生でありました昭和二十六年に、これは民有地であったものですから、この土塔の土取りがはじまったのです。おおかた半分まではいかなかったんですが、1/3ぐらいのところまで土塔の山を、土取り工事のためにつぶされていくということが起こったわけです。当時、大阪府に今もご健在ですが、藤沢一夫さんが大阪府で文化財のお仕事をなさっていたのですが、この土塔を保存しなければならない。そのために実測をするということで、当時、私ども何人かのメンバーがこの土塔の調査のお手伝いをしたという経験がありました。

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