第五章 有岡城と荒木村重
〜郷土史家の研究から〜
安達 文昭

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 私に与えられましたテーマは「有岡城と荒木村重」ということであります。それでこの、小西酒造さんの長寿蔵、この長寿蔵のすぐ南側の道、ここをずっとまっすぐ東へ進むと、つきあたりがJR伊丹駅ですね。そのJR伊丹駅の前の崖の上に築かれた有岡城、荒木村重の居城であったわけですね。荒木村重は戦国時代の武将で、織田信長の家臣、摂津守だったわけです。
 この伊丹の町が、その摂津国のちょうど真ん真ん中なんですよ。伊丹のこの産業道路をずっともう少し北へ行きますと、昔「北村」といってた地区、今、北伊丹一丁目ですがね。そこに「辻の碑」という市指定の文化財、道しるべがありますが、あの「辻の碑」がこの摂津国の中央であると、真ん中であると、いうことを示す貴重な道しるべだということでありますが、その摂津国のちょうど真ん中が伊丹。その伊丹のこの町にですね、築かれた有岡城、それが荒木村重の居城であったわけです。その居城は天正七年、一五七九年に落城しました。


 ところが、奇しくもですね、それからちょうど四百年目の昭和五十四年、一九七九年ですね、引き算したら、ちょうど四百年になりますね。その四百年目に、なんと有岡城跡は国の史跡に指定されたんです。国指定の文化財であります。
 伊丹市内には、ほかにも国史跡としてはあと一つあるだけ。伊丹廃寺跡というのと、有岡城跡、この二つだけが国指定の史跡であります。で、伊丹廃寺は緑ケ丘、陸上自衛隊の総監部前、総監部の正門の前のところに保存されてるお寺の跡です。伊丹廃寺は奈良時代の大規模なお寺の跡。今日お話し申し上げる有岡城跡は、戦国時代のお城の跡ということであります。とにかく、国史跡に指定されて一躍脚光をあびた、世間の注目をあびたですね、有岡城跡、これはわがまち伊丹の誇るべき文化遺産、歴史遺跡の中の一つだと思います。ほかにも遺跡、文化財、そういうものは市内にたくさん残されています。けれども今申し上げたように、国史跡は二つだけ。ほかには県指定の文化財、史跡、そういうものはありますし、市指定の文化財、史跡、そういうものもずいぶんたくさんあります。ですけれども、なんとしても国史跡というのは、非常にランクが上な、メジャーな遺跡ですからね。その点でも我が郷土伊丹の誇るべき文化遺産の一つである有岡城、そのことについてお話をさせていただきたいと思います。

 それで、いったい、この伊丹の有岡城跡は、どのような経過をたどって国の史跡に指定されたのでありましょうか。そしてまた、この有岡城はどのような理由で国の史跡に指定されたのでしょうか。その歴史的意義、あるいは我が国の城郭史に果たした意義ですね、そういうものは何であったのか。さらに、この有岡城を構築した荒木村重、この人物はナゾの多い、よくわからない、なんか悪者一辺倒のイメージで塗りつぶされたような戦国武将でありますけどね、本当にこの荒木村重という人物の素顔は、いったい、どんなだったんでしょうか。どのような素顔の持ち主であったのかということも非常に興味深いことだと、私は思います。
 まあ、私は専門研究者でもございませんし、全くアマチュアの郷土史ファンという立場でありまして、ヤジ馬根性が高じてこのようにいろいろ郷土史の研究にのめり込んだという、アマチュアではございますが、今申し上げました三つのポイントについて、「有岡城と荒木村重」にスポットライトを当ててみたいと思います。


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